
巴 里 へ
法則でHは発音せぬゆゑにわれの呼び名のかはるフランス(本名)
和の国はさくらの遅き春なりき 旅の支度も遅れてゆきぬ
次々と花を口から吐き散らしフローラとなる花の女神は
嗚呼春は冬の鎖がほどかれてうすくれなゐに染まる真昼よ
綿毛吹くアレクサンドル・デュマがゐて黒き遺伝子風に飛びたり
ささやかな秘密のやうに伝へゆく皐月のパリに藤咲く処
サムソナイトスーツケースをひろげたる畳の部屋にゆふぐれが来ぬ
恋をして去勢されたる哲学者しづかに眠るパリの墓地あり
パリの墓地彷徨ふ所存とりあへず墓地地図とやらを携へゆくも
航空券受け取りに行く午後に買ふ花唐草のランチョンマット
美しき豹を殺してしまふ本数日もつて歩いてをりぬ(バルザック)
ゴールデン・ウィーク突入出国の朝はリムジン・バスに揺られる
雲のうへ快晴なりてまなうらにあをを映したままに眠りき
数日を暮らす異国のアパルトマン味噌や醤油を並べてゆけり
この歌を書いてゐるのは仏蘭西のセーヌに架かる橋のうへなり
三度目のルーブルで会ふモナリザのゑみも隠せし人の頭よ
革命といふ語も遠しコンコルド広場に春の雨は降りつつ
マルシェ(市場)にて買い込みしもの両腕にいつぱい抱きて急ぐキッチン
サルトルがペン走らせしカフェにゐて吾はにつぽんの短歌書きけり
旅はまだ続きがありて満開のマロニエの木を風が揺らしぬ
| サン・ジェルマン・デ・プレ教会前で、年若くない五人組がジャズを奏でている。 その向かいのカフェ 『レ・ドゥ・マゴ』の横では、 二人の男女がタンゴを踊り始めた。 セーヌからの風がさみどりに萌ゆる街路樹の葉を揺らしている。 私は今、その風を見ている。 2005年春 パリ左岸にて。 |
短歌人7月号 卓上噴水