word :Mashiro Yamashina




あの夏とシェイクスピアを並べ置く卓に今宵の月は宿りぬ


お元気でゐるのでせうか 幾重にも霧の生れたる国に旅立ち


わたしなら元気でゐます 平凡に子供と花を育てゆく日々


嵐の夜 シャツに包んで抱え来たシェイクスピアの青い装丁


あの夜の荒ぶる風に運ばれた稚き木の葉と浅黄斑蝶と


燭台にらふそく立てて読み進む五日の恋を呼び出す台詞


ジュリエット:「涙のせゐではありません」羽根のかたちに展げゆく髪


瞑らるるくすりを壜に濾しながらさらさら落ちてゆく砂時計


まぼろしの花環を首にかけられて一夜かぎりの゛おふえりあ″生れ


弱き者 汝は女と言ひ放つ彼の喉の円いふくらみ


耳元で魔女が小さく囁いてあしたの夢をそつと撫でゆく


マクベスが頬杖ついて眺めたる染めつけ磁器の鳥の絵模様


ひと揺すりすれば落ちゆくマクベスの赤い果実を引き寄せてゐる


本当に綺麗な水よ 飲みかけのエヴィアンに浮く祭りの金魚


妖精の王の名前のアンプルを弄びたる夢の醒め際


夏の夜の夢のほとりに佇つ君の足元に咲く三色スミレ


真二つに切つた黄桃鼻にのせ似非道化師は仕上がりてをり


クスクスと笑ふ私に揺れてゐたアンクレットの細い金色


錆のない鎖は何処 十二夜に沈みゆく船沈みたる船


狂ほしき嵐のあとの静けさに打ち上げられた男と女


夏の果て「シェイクスピアは何が好き?」「オセローだよ」と答へる鸚鵡


黒胡椒白胡椒をふりかけて真夜中に焼くふたつの卵


イアーゴの声音の満ちる水槽に銀の鱗は翻りゆく


ハンカチを仕舞つてゐるのは抽斗のそのまた奥の螺鈿の小箱


夜嵐の過ぎたるのちの朝焼けをひそと挟みて本を閉ぢゆく


「イギリスに行くことになつた」と告げる背を光のなかで見送りてをり


さりげなく上げた左手さりげなく返す微笑みさりげなく 別れ


異国へと旅立つ君を運びたる翼を空に見つけられずに


思ひ出は削り氷に似てゆるゆると玻璃の器で溶けてゆくもの


あの日から幾度か夏は過ぎ去つて今年の夏もまう終ります



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卓上噴水出詠