ヴィヨンの指


時々、マルセル・シュウォッブは自分のヴィヨン研究のことを、その心の中でもう完結している業績のように語ることがあった。
シュウォッブはヴィヨンに関して二章の文章を残したに過ぎなかったが、ここで少なくとも、その全体把握を、その並々ならぬ学識を、彼特有の無愛想なしかも躍動せる様式を示している。
私は努めてそれを模倣しようとしてきた。ヴィヨンに関してマルセル・シュウォッブが書きえたであろう美しい書を、ついに見なかったことは私の生涯での悲しみのひとつである。
ある日、私は彼に率直な質問を発したことがある。
「でも、あなたはヴィヨンを突き止めてご覧になられているに違いないと思いますが?」
それにシュウォッブは答えた。


「ちょっぴり、彼の指尖だけは見た」

 ------ピエール・シャンピオン 『フランソワ・ヴィヨン 生涯とその時代』文中より-----



 盗つ人のゆびはどの指フランソワ・ヴィヨンの指に董の花を

 なぜかしらヴィヨンの詩集消えてをり白昼刹那一陣の風

 デンジャラス・ゾーンを隠すひとの波泥棒詩人の詩集盗まれ

 春近きカフェはをんなの唇がことりのやうに囀りやまず

 ほんたうは盗つ人だけぢゃなくつてよ人も殺めてゐたの 詩人は

 真つ白き羽根のペンもつフランソワこの雑踏のいづこにをりし

 輪廻とふ見えない円を弄ぶ中世に生きた人のまぼろし

 死者となりヴィヨンはわれのゆびのなか ふたたび開くヴィヨンの詩集




フランソワ・ヴィヨンは15世紀にフランス生まれた詩人であり、
泥棒であり、殺人者でした。
ジャン・ジュネ以前にすでに現れていた泥棒詩人はジュネと違って晩年の行方さえ定かでありません。
行方知れずという響きは永遠を想起し、パリを追放され詩人の歩いた道端には、もしかして、
ひっそり静かに菫が咲いていたのではないだろうか。





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山科真白 2006年短歌人5月号