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MOREAUのこひびと--真白の美術館日記


2008年 2月 21日(木)   『ムンク』展
兵庫県立美術館 神戸市灘区

オスロ市立ムンク美術館の所蔵作品を中心に全108点のムンク作品を展示。

「吸血鬼」「不安」「声/夏の夜」「生命のダンス」などムンクの代表作も来日し、関西では久々の大規模なムンク展である。

平日に行ったにもかかわらず、多くの人で会場は賑わっていました。

ムンクといえば、ノルウェーを代表する画家で、殊に「叫び」は有名で、日本でもよくそのコピーを目にする。
赤色の曲線の空、海の上に架かる橋の上で両耳を押さえ、叫ぶ髪の毛のない黒い服を着た人物。橋の向こうにはふたりの人影。2004年には盗難に遭い無事発見される。
今日、『叫び』共々ムンクの作品はノルウェーだけでなく、世界の至宝である。

関西では、何十年か前に、ムンクの大きな展覧会が開かれたらしいが、私は見たことがない。
大原美術館が、ムンクの版画を何点か所蔵していて、何度か大原で、「マドンナ」や「吸血鬼」を見たことがあるが、こんなにもムンクを観たのははじめてであった。

ムンクは自分の心の奥底を表出させた作品を主に描き、それらの作品群を<生命のフリーズ>と題している。

恋愛のもつれから、発砲事件がおこり、ムンクは左指の中指第二関節を失ったという。勿論、この事件のあとも絵画制作は行われ、その作品は自分のアトリエに飾られたりし、今回の展覧会では、アトリエを再現した様子も紹介されていた。



『ムンク』展
国立西洋美術館2007年10月6日-2008年1月6日
兵庫県立美術館2008年1月19日-3月30日



2007年 7月26日(木)   『プラハ国立美術館』展
Bunkamuraザ・ミュージアム 東京渋谷

『プラハ国立美術館』展 ルーベンスとブリューゲルの時代

チェコのプラハ国立美術館より、同館所蔵の17世紀のフランドル絵画に焦点をあて開催された美術展。

当時のフランドルは、ハプスブルク家の支配下にあり、芸術品はプラハにも所蔵されることになる。

ルーベンスの絵画は世界各国の美術館に点在しているが、プラハ国立美術館にもあり、今回は工房の作も含め、10点ほどが来日している。

≪バベルの塔≫や≪ネーデルラントのことわざ≫≪悪女フリート≫などを描いたブリューゲルは大ブリューゲルといわれている。
この大ブリューゲルの子孫たちから多くの画家が輩出され、ブリューゲルファミリーと呼ばれている。
よくブリューゲル父 とか ブリューゲル子 という表示をされている。
大ブリューゲル=ピーテル・ブリューゲルの絵は、いくら息子たちが父を模倣しつつ流れを継承しても、独特の絵の質感があるので見分けることが出来る。
今回の展覧会では、大ブリューゲルではなく、その息子のピーテル・ブリューゲル(長男で「子」などと紹介される)や、花の静物画や風景画を好んだヤン・ブリューゲル、その息子で同名のヤン・ビューゲル(子と表記)が多く来日。
その他、ブリューゲルの子孫のヤン・ヴァン・ケッセルなどブリューゲル一族の作品が多く展示されている。

会場には、ブリューゲルの家系図もあり、納得しながら前に進むが、あまりに一族の数が多いため混乱してしまうこともしばしば。(笑)

ヤン・ブリューゲルの≪陶器の花瓶に生けた花≫は、咲く季節の異なる花が活けられている。花器は、中国の陶器で、特に東欧が熱心であった、中国や日本の陶器コレクションを想起させる。

プラハ国立美術館が、大ブリューゲルの絵を所蔵しているかどうかは知らないが、「ルーベンスとブリューゲルの時代
」という副題を掲げるなら、大ブリューゲルが一枚も来日していないのは少々痛い。


Bunkamuraザ・ミュージアム 2007年6月9日-7月22日
鹿児島市立美術館 2007年7月28日-9月2日
山梨県立美術館 2007年9月8日-10月14日
奥田元宋・小由女美術館 2007年10月20日-12月2日
愛媛県美術館 2007年2月9日-3月30日




2007年 7月20日(金)   『パルマ―イタリア美術、もう一つの都』展
国立西洋美術館 東京上野

イタリアには旅したが、パルマには行ったことがない。

パルマといえば、ハムやチーズ! 文学では、スタンダールの『パルムの僧院』、サッカーなどなど、地理的にもミラノに近く訪れやすいところだ。

そのパルマの美術を16世紀から17世紀にかけてスポットをあて、パルマ国立美術館蔵の作品を中心に約100点によって構成されている展覧会。

フィレンツェにも程近いパルマで、ルネサンスに活躍したコレッジョとパルミジャニーノの作品は、優雅で美しく、神話や聖書の主題もわかりやすく表現されている。

16世紀にパルマの領主となったファルネーゼ家の歴代君主たちの肖像は、系図を見ながら進む。ファルネーゼ家は芸術家のパトロンでもあった。

コレッジョ以後、パルマ派独自のマニエリスムが花咲き、その後、バロックへと時代はうつってゆく。

この絵は、ジョルジョ・ガンディーニ・デル・グラーノの≪聖母子と幼い洗礼者ヨハネ、聖エリザベツ、マグダラのマリア≫だが、
マリア、イエス、ヨハネ、エリザベツの年齢はあっているものの、マリアの横にいるマグダラのマリアが女性として描かれており、なぜだろうと思ったりした。

この展覧会の音声ガイドの声は錦織健さん。17世紀の貴重な楽譜を元に演奏された曲も聴ける。

展覧会を出たショップでは、ハムやチーズやワインが販売されていた。

ちょうど金曜日だったので夜まで美術館が開館しており、夜に訪れた。
夜だが、結構人が入ってたように思う。
仲良しの千秋と一緒に観る。東京と神戸で離れて住んでいるのでなかなか会えないが、しょっちゅうネットで話しているので久しぶりに会っても久しぶりという気がしない。彼女と展覧会に来るのは大好きだ。絵を見るテンポのようなものや相性がピッタリなのである。

『パルマ―イタリア美術、もう一つの都』展
国立西洋美術館 2007年5月29日-8月26日



2007年 7月20日(金)   『インカ・マヤ・アステカ』展
国立科学博物館 東京上野

久しぶりに会った関東在住の歌人さんと一緒に訪れる。

マヤ文明はユカタン半島(現在のグアテマラやメキシコなど)を中心に紀元前四世紀から約二千年も栄えた文明。
ジャングルの中で発展し、絵を組み合わせたような独自の文字があった。最近、このマヤの文字が解読され、文明の謎が次々と解かれている。
エル・カスティーヨ・ピラミッド(ククルカン(羽毛の生えた蛇))は、春分と秋分に階段にヘビの姿を映し出す。
マヤからは翡翠がよく採れたらしいが、翡翠の仮面や装飾版、蓋付き容器なども展示されていて、とてもきれいだった。

アステカ文明は、14世紀から16世紀に現在のメキシコに発展した文明。
テスココ湖という湖のなかに都市を作り栄えた。
太陽や月などの天体や自然の物を崇拝し、供物の献上だけではなく、生贄もさかんに捧げられた。
今回の展覧会では、色々な神を形にしたものや、人身供犠の副葬品などが来日している。

インカ文明は、15世紀に現在のペルーを中心に栄えた文明。
マチュピチュや高度な石造りの都市を作った。
インカ文明の展示品は、金のものが多くきらびやかな印象だ。
インカ文明は文字を持たない文明といわれているが、キープという放射状に広がるネックレスのようなものの結び目が、文字の役割をしたそうで南北に長い国家を飛脚がキープを身につけ走り回ったという。
座位の父子のミイラはきれいなまま保存されていた。

この展覧会は神戸、岡山、福岡と巡回するが、上京したので早めに観覧した。
南米で栄えた三つの文明を見どころを押さえて構成されている。
会場を出た所のグッズのショップは、他の展覧会に比べとても充実しており、アンデスのお店などもあった。


『インカ・マヤ・アステカ』展
国立科学博物館 2007年7月14日-9月24日
神戸市立博物館 2007年10月3日-12月24日
岡山市デジタルミュージアム 2008年1月11日-3月16日
福岡市博物館 2008年3月25日-6月8日




2007年 5月4日(金)   『VLAAMSE PRIMITIEVEN』展
アントワープ王立美術館 ベルギー アントワープ

『VLAAMSE PRIMITIEVEN DE MOOISTE TWEELUIKEN』

アントワープ王立美術館に行ったら、プリミティフ派の展覧会をしていました。

≪原罪≫ ファン・デル・フース 

ヒューホ・ヴァン・デル・フースといえば、15世紀のフランドルの画家で、独創的な作品を描いている。
≪原罪≫は、ウィーン美術史美術館蔵の作品だが、この展覧会に出品されていた。

ヴァン・デル・フースは、ヘント(ゲント)の画家組合に登録され、組合長にまで上り詰めるが、ゲントを離れ、修道院の修道士になる。
ケルンに出かけ、その岐路に発狂した。翌年死亡している。(出典 西洋美術館)

代表作は、≪ポルティナーリ祭壇画≫で、この祭壇画はウフィッツィにある。


≪Christus aan het kruis≫ ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス 

ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスは、夭折の画家で30歳前後で亡くなっている。

ヴァン・デル・フースとのつながりが強い画家である。

この絵のほかに、ボイスマン=ファン・ブニンヘン美術館の≪ロザリオの聖母≫も出展されていた。

オランダ、ハーレムの聖ヨハネ騎士団でも活動しており、ベルリン絵画館にある≪荒野の洗礼者ヨハネ≫や、ウィーン美術史美術館の≪聖ヨハネ騎士団のための祭壇画≫など、ヨハネ関連の作品も描いている。

アントワープ王立美術館は、フランドル派の作品だけではなく、ルーベンスの有数のコレクションを持つ美術館としても名高い。
コリント様式の建物が美しく、美術館も大きすぎず小さすぎずでゆっくり静かに過ごすのに最適な美術館。


『VLAAMSE PRIMITIEVEN』
アントワープ王立美術館 2007年3月3日-5月27日





2007年 4月19日(木)   『大英博物館 ミイラと古代エジプト』展
神戸市立博物館 三宮

2004年から大英博物館で1年以上開催された特別展の日本への巡回。
エジプト関連や大英博物館絡みの展覧会は、結構日本でも開催されていて、入場者も多いが、今回の展覧会は、今まで見た中でも異質でとても面白かった。

三千年以上のミイラの謎を3D映像で解き明かすということで、入場すると、イントロダクションを部屋に複数設置されたモニターで見せられる。
その後、特別シアターに移動し3D用のめがねが配られる。
迫ってくる画像には、思わず身を引いてしまうこともあったが、とにかく面白かった。

シアター鑑賞の後は、展示会場に移動する。
映像に登場した棺や護符ほか、ロゼッタストーンの複製など約130点の大英博物館エジプトコレクションが展示され、見どころいっぱいの一風変わった展覧会でした。


『大英博物館 ミイラと古代エジプト』展
国立科学博物館 2006年10月7日-2007年2月18日
神戸市立博物館 2007年3月17日-6月17日



2007年 3月10日(土)   『ダリ』展
サントリーミュージアム天保山  大阪

兵庫県立近代美術館で、随分昔に『ダリ』展が開催されたが、昨年、東京で巡回のない『ダリ回顧』展は関西に来なかったので、関西人にとっては楽しみな展覧会だった。
ダリの作品は決して少なくはないし、ダリの美術館もスペイン、アメリカだけではなく、たとえば、パリのモンマルトルにもあった。
今回の展覧会の出品は、スペインのガラ=サルバドール・ダリ財団と、アメリカのサルバドール・ダリ美術館からで、
油彩約40点、ダリ財団秘蔵の手稿やドローイング、広告デザイン、舞台衣装など約180点が来日。

2004年はダリの生誕100年で、展覧会が世界各国で開催され、そのプログラムの一環として日本でも三美術館で開催される。

ダリほど奇抜なアーティストはいないが、印象派などの軟らかい色彩を好む方は苦手と仰ったりする。
ダリのパッションは、多少の好き嫌いの別をあっさり越えて、現実と幻想の錯乱を楽しんでみるのもいいのではないかと思う。


『ダリ』展
サントリーミュージアム 2007年3月8日-5月6日
名古屋市美術館 2007年5月12日-7月11日
北海道立近代美術館 2007年7月21日-9月6日



2007年 1月18日(木)   『ピカソとモディリアーニの時代』展
大丸ミュージアム梅田

フランス北部のリール近代美術館より、20世紀前半作品を中心に90点が来日。

ピカソ、モディリアーニ、ユトリロ、ブラック、レジェ、ビュッフェ、ミロ、ルオー、クレーなど、キュビスム、シュールレアリスム20世紀の革命的美術の軌跡を堪能できる。

訪れたのは、大丸ミュージアム梅田での展覧会開催初日。全国を回ってきた展覧会だが、梅田での人出も多かった。

リール美術館の礎を築いたロジェ・デュティユールは、ブラックの作品をはじめて購入した幻の画商、カンワイラーとも交流のあったコレクターらしく、リール美術館は、フランスの公立美術館では最大のモディリアーニ・コレクションを有する美術館だそうです。


『ピカソとモディリアーニの時代』展
愛媛県美術館 2006年4月20日-6月4日
ひろしま美術館 2006年6月10日-7月16日
秋田県立近代美術館 2006年7月22日-8月27日
Bunkamura ザ・ミュージアム 2006年09月02日-2006年10月22日
北九州市立美術館 2006年11月18日-2007年1月14日
大丸ミュージアム梅田 2007年1月18日-2月4日



2006年11月9日(木)   『エコール・ド・パリ』展
兵庫県立美術館 神戸市灘区

20世紀前半、パリには多くの異国出身の芸術家たちが集まり、のちに、エコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれる個性的な芸術を生み出した。

そんな、エコール・ド・パリの画家たちより、モディリアーニ、ピカソ、シャガール、キシリング、藤田嗣治などに、プミテヴ派と呼ばれたアンリー・ルソーやドランの作品を加え、同世代をパリに生きた画家たちの作品を約80点展示。

エコール・ド・パリを愛してやまない人々にはたまらない展覧会となっている。

会場に入ってすぐ、芸術たちの交流の場となったモンパルナスのカフェの写真の大きなパネルに出迎えられる。

エコール・ド・パリの画家たちのなかで、堂々、独自性を見せつけている藤田嗣治の実力に日本人として感動する。


『エコール・ド・パリ』展
岡崎市美術博物館 2006年6月3日-7月30日
熊本県立美術館 2006年8月4日-10月9日
兵庫県立美術館 2006年10月18日-12月17日



2006年9月 28日(木)   『アルベルト・ジャコメッティ』展
兵庫県立美術館 神戸市灘区

アルベルト・ジャコメッティ(1901年-1966年)は、スイスで生まれた。

彫刻だけでなく、絵画や、版画などの作品も多く遺した。

針金のように細い独自の人物像は、鮮烈な印象を持ち、他に例をみない。

実存主義に精通した渡仏中の哲学者の矢内原伊作と親密に交流し、矢内原をモデルにした、絵画、彫刻を多く作成する。

彫刻42点、油彩画28点、素描、版画66点、その他写真、書簡などの資料で構成される展覧会は、ジャコメッティを多面的角度から映し出す内容の充実したものとなっています。

また、帰国した矢内原との交流は続き、矢内原が保管していた書簡や日記、ジャコメッティの死を報せる夫人からの電報など貴重な資料も展示されている。

ジャコメッティの彫刻を、前後左右から自由に見られる作品配置は、観覧者に親切で、彼の彫刻が、真正面から見た幅より、真横から見た幅の方が大きいものがあることに気づく。

自らの絵を取り囲む自らカンバスに描く黒い線と、今にも降り出しそうな曇り空に似た色の背景。

兵庫県立美術館では、オリエンタルホテルがプロデュースするレストランがあり、展示会によってお料理がかわる。
アルベルト・ジャコメッティ展メニューという魚料理を食べつつ、外にテラスのあるもうひとつのカフェで、海の風にあたる。



『アルベルト・ジャコメッティ』展
2006年6月3日-7月30日 神奈川県立近代美術館
2006年8月8日-10月1日 兵庫県立美術館
2006年10月10日-12月3日 川村記念美術館




2006年8月19日(木)   『プラド美術館』展
大阪市立美術館 大阪天王寺

2002年、国立西洋美術館で開催された『プラド美術館』展は、プラド美術館のコレクションをはじめてまとまった形で紹介した展覧会ということで、約52万人の来場があったとのこと。
私も2002年、上京し、来日したプラドの作品を堪能しましたが、
今回の展覧会は、東京と大阪、ニ都市の開催ということで、関西でプラド美術館の名画をゆっくり楽しむことが出来る機会に恵まれました。

ティツアーノ、グレコ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、ムリーニョ、スルバランなど7000点を越えるプラド美術館所蔵作品の中から52作家、81点の名画で構成されるこの展示会は、前回の国立西洋美術館で開催された『プラド美術館』展とは、異なった作品内容となっている。

≪魔女の飛翔≫ ゴヤ

版画は別として、日本でゴヤの油彩を見る機会はあまりない。
前回の展覧会でも来日したゴヤの絵画はすばらしく、ゴヤの漆黒に魅了された。
≪魔女の飛翔≫は、1798年オスーナ公爵に売却された「魔女のテーマ」の6点の連作の1枚で、版画集『ロス・カプリチョス』との関連性も想起する。

深い闇に尖った背の高い帽子をかぶった半裸の少年たちが宙に浮き、ひとりの人間を抱え上げている。

その真下を黒い服を着た男が真っ白い布をかぶり、顔を伏せて歩き去ろうとし、
地面に倒れた赤毛の男は耳をふさぎ、驢馬は窪みから動けないでいる。

≪アモールと音楽にくつろぐヴィーナス≫ ティツアーノ

プラド美術館は王侯のコレクションを核としており、スペインの画家たちだけではなく、フランドル、イタリア絵画の宝庫としても知られる。

ティツアーノのコレクションも充実しており、今回も数枚来日している。

ティツアーノ作品の中で、ヴィーナスと音楽を結びつけた作品は数点あり、ウフィッツィの≪ウルビーノのヴィーナス≫、ドレスデンの≪眠れるヴィーナス≫(ジョルジョーネとの合作)など、世界各地にちらばっているが、
プラドの≪アモールと音楽にくつろぐヴィーナス≫は、背後に美しい噴水のある庭園が広がり、豊満なヴィーナスの裸体を飾る装飾品のリアルな煌めきは、絵の前に立つと息を飲む。


『プラド美術館』展
2006年3月25日-6月30日 東京都美術館
2006年7月15日-10月15日 大阪市立美術館



2006年 6月29日(木)   『藤田嗣治』展
京都国立近代美術館 京都岡崎

明治19年、東京の医師の末子として生まれたフジタは、大正2年パリに渡り、モディリアーニ、スーティン、ピカソ、キスリング達と交流し、エコール・ド・パリの代表的画家となる。

中南米を回り、日本に帰国するが、第二次世界大戦後ふたたびフランスに戻り帰化した。

パリにおける一番有名な日本人画家であり、フジタの果たした役割は大きい。

フジタの描く裸婦像は、‘乳白色の肌’と絶賛され、女性と猫を多く描いたが、戦争画、宗教画なども描いている。
日本画の手法を取り入れ、背景に墨を使ったり、金箔も使用している。
今回、フジタの全時代から百点弱の作品を集め、生誕120年記念回顧展にふさわしい内容の展覧会となっている。

フジタの絵をこんなにたくさん見たのははじめてだったが、親友のモディリアーニや、ピカソなどの影響の色濃い作品もあり、シャガールやアンリ・ルソーを思わせる構図もあり、フジタ独自の細やかな線描と、乳白色の肌色、まさしくエコール・ド・パリ一翼を大きく担った偉大な画家の作品を堪能した。

藤田嗣治という画家は日本では、マイナーに属するのかと思っていたが、紹介のTVの影響か、平日の午後なのに人が多く少々驚いた。
世界のフジタ。パリのフジタ。は、
日本の藤田なのだと、藤田死後、40年弱を経て強く認識したいと思う。


『藤田嗣治』展
2006年3月28日-5月21日 東京国立近代美術館
2006年5月30日-7月23日 京都国立近代美術館
2006年8月3日-10月9日 広島県立美術館



2006年 3月4日(土)   『ナポレオンとヴェルサイユ』展
神戸市立博物館 三宮

2002年秋に、* 太陽王ルイ14世からマリー・アントワネットまで *
という副題で神戸で開催された 『ヴェルサイユ』展は、記憶に新しいが、
今回の展覧会は、ヴェルサイユ所蔵のなかでもナポレオンに焦点をあてた展示会となっている。

ナポレオンの所持品および肖像画、関連品はフランス国内に散らばっているし、フランス国内でもナポレオン人気は高いので、私が渡仏した際もパリで『ナポレオン』展が開催されていた。

ヴェルサイユ自体は、実際に訪れるとやはり、ルイ14世からマリー・アントワネットまでの王族のカラーがとても強いが、ナポレオンもここに皇帝としての公邸を設けることを夢みただけあって数々の品々がヴェルサイユに遺されている。

今回の展覧会は、館内に入ると、ロベス・ピエールの肖像画に出迎えられ、恐怖政治の立役者は確かにナポレオンに続く時代の流れを想起させるが、少々面食らってしまう。
断頭台に向かうルイ16世やマリー・アントワネットの晩年の肖像画も展示されていた。
ダヴィッドの<マラーの死>もきていたが、この絵はベルギー王立美術館にある絵とサイズなども瓜二つで、ダヴィッドという画家は何枚か同じ絵を描くことがある画家なので、この題材もそういうことなのだろう。
ヴェルサイユ宮殿にかけられているナポレオンの戴冠の絵もルーブルに同じものがあるが、ジョセフィーヌの後ろにいる4人の女性たちの衣装の色が違う。
白馬に跨りアルプス越えをするナポレオンの絵はダヴィッドの作品の中でも有名な絵である。

ナポレオンは、若いころは痩せており、細面だったが、だんだん体型も変化していく。今回の展覧会では肖像画も複数来日している。

また前后妃のジョセフィーヌや、のちの后妃マリー=ルイーズ、一粒種で早逝したローマ王、ナポレオンの家族たちの絵や所縁の品々が多く来日し、ナポレオン個人の栄華の一時代に触れることができる。



『ナポレオンとヴェルサイユ』展
2005年12月3日-2006年3月19日 神戸市立博物館
2006年4月20日-6月18日 江戸東京博物館



2005年11月12日(日)   『アムステルダム国立美術館』展
兵庫県立美術館 神戸市灘区

アムステルダム国立美術館の大規模な改装工事に合わせて世界を巡回している展覧会です。
日本では神戸のみの開催になります。

黄金期と呼ばれるオランダ17世紀のコレクションが特に充実している美術館として知られるアムステルダム国立美術館は、レンブラントやフェルメールなど多数の著名画家の所蔵品が見られるベネルクス屈指の美術館です。

今回の展覧会は「オランダ絵画の黄金時代」と題し、17世紀の絵画、工芸品など93点が来日。

≪青年期の自画像≫ レンブラント
レンブラントは上記の絵以外に3点
他、ハルス、ヤン・ステーンなど、肖像画や風景、ヴァニタスや花の静物画、宗教画、風俗画、ジャンルも多数あり、当時のオランダを美術を通してあらゆる角度から感じられる。

私にとっては10枚目のフェルメール。
なかなか見たフェルメールの枚数は増えませんネ。
≪恋文≫ フェルメール

2005年10月25日-2006年1月15日   兵庫県立美術館



2005年 7月10日(日)   『ギュスターヴ・モロー』展
兵庫県立美術館 神戸市灘区

パリのモロー美術館が改装中のために所蔵のモロー作品が多数来日している展覧会です。



去年、モロー美術館を訪れた時は、外も中もきれいで改装の予感はなかったのですが、モロー美術館は、モローのアトリエ兼自宅で手をいれる箇所も多いのでしょう。

展覧会場の正面には、モロー美術館に入ってすぐ目に飛び込んでくる



この螺旋階段と赤を基調とした壁にかけられたモローの作品たち、まさに、この写真そのまま、引き伸ばしたようなフォトグラフが飾られている。

モロー美術館へようこそ

というような、演出である。

たぶん、パリに2.3日滞在する観光客は、ルーブルやオルセーには立ち寄っても、モロー美術館にわざわざ足を運ぶ人は少ないように思う。

しかし、多くのモローの作品がこのモロー美術館に集められており、モローが人生を過ごしたその邸宅でモローの作品を見るという味わいは陶酔にも似た快楽がある。

ギリシア神話、聖書などに材を求め、描かれた事象を独自の視点で捉えなおし、細緻な筆で描き続けたギュスターヴ・モローの世界は、
ユイスマンスをペンを止めることができないほどに魅了し、オスカー・ワイルドに戯曲『サロメ』を描くきっかけを作り、後進の画家にも多大なる影響を与えた。

モロー美術館の初代館長は愛弟子のルドンが勤めている。

19世紀象徴派の代表とされるモローの作品の魅力は、ただ、美しいだけでなく、描かれているギリシア神話や聖書の登場人物が特有の個性を持ち、理想となりうる対象として存在することである。

ルーブルもウフィッツィもそのほかの美術館でもそこの美術館で作品を見るというのが望ましく、特にギュスターヴ・モローの場合は、モロー美術館でこの作品群を見るのが至福であると強く感じるが、この展覧会でモローの作品に多くの方が触れ、パリを訪れたいと思う方が増えることを心から願っています。

展示作品は、ギュスターヴ・モロー美術館所蔵オンリーのものです。
サロメシリーズは、≪出現≫をはじめ、多くの習作やその他の水彩、油彩など非常に充実しています。




2005年3月19日-2005年5月22日  島根県立美術館
2005年6月7日-2005年7月31日   兵庫県立美術館
2005年8月9日-2005年10月23日  Bunkamuraザ・ミュージアム



2005年 7月10日(日)   『ベルリンの至宝』展
神戸市立博物館 三宮

ベルリン国立博物館群の旧国立美術館、旧博物館、新博物館、ペルガモン博物館、ボーデ博物館より、

「聖なるもの」 というテーマでエジプト美術から19世紀までの至宝をコレクションして展示されている。

・ティイ王妃頭部 紀元前1360年ごろ
・パイエステネフの彩色木棺 紀元前600年ごろ
・ライオンの装飾煉瓦壁 紀元前575ごろ バビロンの神殿に繋がる通りの両側の壁画の一部。壁画は180mも続きライオンは120頭ほど描かれていたそうです。口をあけて牙を剥き出し、勇壮な姿の百獣の一頭分の煉瓦壁が展示されています。
・パシグのミイラマスク 1世紀初頭
・カラカラ帝の胸像
・ミネルヴァの銀皿
・ボッティチェリの≪ヴィーナス≫ 
・マネの≪温室にて≫ など



『ベルリンの至宝』展
2005年7月9日-10月10日 神戸市博物館



2005年 4月9日(土)   『ドレスデン国立美術館』展
兵庫県立美術館 神戸

ザクセン選帝候国の歴代君主のコレクションの16世紀から19世紀のものを各分野からセレクトした約200点が来日しています。

アルテ・マイスター絵画館、ノイエ・マスター絵画館、宝物館、陶磁器館、版画素描館、数学物理学サロン、武具収集室など12の各美術博物館からの珠玉の作品群で構成されている。

ドレスデンは本当にコレクションが充実してるので、楽しみにしていた展覧会でしたが、各部門、出品のひとつひとつが非常にすばらしい。

今回の一番の目玉のひとつのフェルメールの≪窓辺で手紙を読む若い女≫の他、
レンブラントの≪ガニュメデスの誘拐≫ ≪ラザロの復活≫などのエッチング三点
フリードリヒの≪月を眺める2人の男≫
ティツアーノの≪白いドレスの女性の肖像≫
デュラーの挿画。人体図、星図
カナレットのヴェネツィア風景油彩2枚とエッチング

敵国オスマン・トルコの武具の数々
ザクセン最盛期の君主、アウグスト強王の戴冠礼服やローズカット・ダイヤモンド装身具一式
中国白磁、伊万里、マイセンコレクションなど、見どころ満載の展覧会となっている。

尚、兵庫県立美術館は、今年10月末から『アムステルダム国立美術館』展を予定しているが、またフェルメールを一枚呼んでくれそうです。
≪恋文≫が来日するかも・・・・・



『ドレスデン国立美術館』展
2005年3月8日-5月22日 兵庫県立美術館
2005年6月28日-9月19日 国立西洋美術館




2005年 2月11日(金)   『フィレンツェ 芸術都市の誕生』展
京都市美術館 京都岡崎

ルネサンス発祥の地、フィレンツェは、その街がすなわち芸術である。

今回の展覧会は、「都市」「絵画」「彫刻」「建築と居住文化」「金工」「織物」「医学」の各分野にジャンル分けされ、ウフィツィをはじめピッティ美術館、パラッツォ・ヴェッキオ、アカデミア美術館、サン・マルコ美術館、フィレンツェ大聖堂など約30の美術館や施設から珠玉の作品が集められている。
フィレンツェの街に長く滞在しなければこれらすべてをフィレンツェで見ることはできないだろうし、フィレンツェで見たものに日本で再会する嬉しさは格別である。

フィレンツェは14世紀初頭に経済発展は頂点に達したが、それに伴い、街の発展、ルネサンスとして括られる芸術全般の開花。文学、思想、政治など芸術都市フィレンツェの華やかな文化に触れることのできる展覧会である。

絵画では、ボッティチェリが1枚。フラ・アンジェリコが1枚。ボッティチェリはピッティからの出品の≪婦人の肖像≫
アンジェリコは、サン・マルコ美術館からの出品のテンペラ≪助祭ユスティニアヌスを治療する聖コスマスと聖ダミアヌス≫
他、ポッライオーロの≪若い女の肖像≫ ドミニコ・ディ・ミケリーノ≪『新曲』の詩人ダンテ≫等

フレスコ、写本、貨幣、レリーフ、貴金属、紋章、天板、聖杯、香炉、水差し、兜、祭服、壷、ミケランジェロのコンパス、時計など樣々なものが出展されている。

なかでもアヴェケンナ(イヴン・シーナー)『医学典範』という15世紀後半の写本に個人的に興味を持った。

非常に色鮮やかで豪華なこの医学写本は、フランツ1世(マリア・テレジアの夫、マリー・アントワネットの父ですね)のコレクションであった。
これはアラビアの医師アヴィケンナ(980年-1037年)が著した『医学典範』の写本で、解剖、薬学、疾病などがラテン語で書かれてあるもので、病院の一室のような部屋でベッドに患者が寝ていて、同室前方では医者が坐った患者の足に外科的治療を行っている。一頁一頁めくってゆっくりみてみたい写本だった。

この展覧会の大きな目玉の一つ。

ミケランジェロの木彫りの≪磔刑のキリスト≫

大きなものではなく小さなものなのですが、非常に心に響くすばらしい磔刑像。
シナノキ材に彫られ、彩色されています。全裸で痩身のキリストが右に首を傾けてうなだれています。頭部あたりはヴァチカンのピエタによく似ていました。

ポッライオーロ ≪若い女性の肖像≫↓


『フィレンツェ 芸術都市の誕生』展
2004年10月23日-12月19日 東京都美術館
2005年1月29日-4月10日 京都市美術館



2005年 1月30日(日)   『中国国宝』展
国立国際美術館 大阪中ノ島

リニュアルオープンして二回目の国立国際美術館の展覧会は、東京大阪と廻覧する『中国国宝』展。

「考古学の新発見」と「仏教美術」のふたつのテーマで構成されるこの展覧会に中国国宝約150点が出品されるとあって、多くの人が美術館を訪れている。

長大な歴史を持つ中国の貴重な名品がずらりと並ぶ。
仏像も中国全土から網羅的に集められている。

金縷玉衣  日本初公開
前漢時代・前2世紀/江蘇省 徐州市 獅子山出土/江蘇省・徐州博物館蔵

多数の玉片を黄金の針金で綴ったもので、漢王朝の皇族の遺体を覆っていそうです。玉片はきっちりと四方形にカットされ、磨かれてその四隅に小さな穴を開けてそれぞれを繋いでいる。部位によって玉片の大きさが違っていて、手の指の部分など非常に細かく指の形に合わせて作られている。

他、多数の仏像、舎利容器、香炉、斧、鎧甲など国宝の優品多数。



2005年1月18日-3月27日 国立国際美術館



2004年12月4日(土)   『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展
国立国際美術館 大阪中ノ島

国立国際美術館といえば、吹田の万博公園の中にあり、美術館正面にはローズガーデンがあり、中に入るとミロの大きな作品がお出迎えをしてくれていた。

そんな国立国際美術館は、万博開催に際して建造された万博美術館としてスタートしたようですが、収蔵庫の狹隘や施設の老朽化などの理由から大阪中ノ島に新築移転され、2004年11月開館記念として開かれているのが、『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展です。

元々、国立国際美術館は主に現代美術の作品が多くコレクションされ、今までの特別展覧会も現代アートの展覧企画が多い施設なのですが、新しい中ノ島に新設された建物も美術館の真上に銀色の大きなオブジェがあり、美術館は地下に増設されているという現代的な建築で、大阪市立科学館も隣接し、交通の便もよいため、大阪の新しいパブリック・ゾーンになりそうである。

吹田の万博公園には国立国際美術館のほかに、民俗学博物館や民藝館、児童文学館などもあるのだが、それらの施設も移転や修復が行われるのだろうか?そのあたりは知らない。

さて、マルセル・デュシャンは、フランス生まれ。
ニューヨーク・ダダの中心的人物である。
便器にサインをして『泉』という作品にして出品許可がおりずに物議を醸したり、レディ・メイド(既製品)にこだわったり、偶像破壊というのか、モナリザに口ひげを描いて『L.H.O.O.Q』とフランス語で「彼女はおしりが熱い」というタイトルをつけてみたりと、他を寄せ付けない斬新な手法の作品を発表し、「ダダイスムの巨匠」とも「現代美術の父」とも呼ばれました。

今回の出展は、キュビスムの『階段を降りる裸体NO.2』 大硝子『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも(東京ヴァージョン)』 モナリザの口髭 『L.H.O.O.Q』 他デュシャンの影響を受けたアートティストの作品が展示されています。



2004年11月3日〜12月19日 国立国際美術館



2004年 8月1日(日)   『栄光のオランダ・フランドル絵画』展   ウィーン美術史美術館所蔵
神戸市立博物館 三宮

東京で好評を博した『栄光のオランダ・フランドル絵画』展が神戸に場所を移して開催されている。

今回の展覧会の目玉は、フェルメールの≪画家のアトリエ≫が出品作品に含まれるということであるが、ウィーン美術史美術館の所蔵絵画はコレクションとしての充実ぶりは世界の美術館のなかでも屈指であり、他の作品の来日にも非常に期待が持てる展覧会となった。

2002年秋から2003年春にかけて、東京、京都を巡回した『ウィーン美術史美術館名品』展でもルーベンスやデューラー、カラヴァッジョ、ブリューゲルなどの作品が来日したが、今回の展覧会では、その前展覧会出品作品と重複することのない出展絵画作品であったことは、ますます西洋絵画ファンを喜ばせたことだったと思う。

今回の展覧会は、ウィーン美術史美術館のネーデルラント絵画コレクションが来日したわけであるが、改めて書くことでもないのだが、ネーデルラントは「低い土地」という意を持ち、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク三国とフランス北部の一部の地域を差す。

ブリューゲル(父・子)、ルーベンス、ファン・ダイク、レンブラントなどのネーデルラントを代表する主要画家たちが出展されている。


≪小さい花卉画-陶製の壷の-≫ ヤン・ブリューゲル(父) (c)KHN,Wien

ブリューゲル(父)の作品は、上記のほかに≪ケレスのいる四大元素の寓意≫≪動物の習作(犬)≫≪動物の習作(驢馬、猫、猿)≫が出品されていた。
ブリューゲルは花器に差された花を幾品か描いているが、≪小さい花卉画-陶製の壷の-≫ も有名な作品である。
この絵には、水仙、チューリップ、アイリス、薔薇、ヒヤシンス、スノードロップ、金盞花、菫、矢車草、ムスカリ、百合、ハーベナなど開花時期の異なる花が花器に差され、その花々には、蝶や虫がさりげなく止まっている。花器の前には土のついたままの開花しているシクラメンや落下した花、貝殻、水晶のような光を放つ鑛石、コインが描かれ、ヴァニタスの印象を強めている。間近でよく見ると、コインには1599年という年号が見てとれるが、この絵は1607年ごろに描かれたものだとされている。
ブリューゲルは民衆を描いた画家だが、その緻密さは、こういった植物の静物画にも顕著に現われている。


≪金鎖の首飾りとイヤリングを付けた毛皮の上着の自画像≫ レンブラント (c)KHN,Wien

レンブラントの出展は、上記と≪使徒パウロ≫の二点。
レンブラントは自画像を多く描いた画家としても有名である。最近においてもそのうちの幾点かは真筆かどうかの議論がなされているものもある。彼は自画像を70点前後描いてるが、この絵は1655年に描かれたものである。暗く構成された画布のなかに年老いた画家の顔と首から垂れるチェーンの金色が浮かびあがっている。


≪画家のアトリエ(絵画芸術)≫ フェルメール (c)KHN,Wien

現存する数が少ないフェルメールの絵を何点見たことがあるのかということを関心事としている人は多いように思う。
私は、国内フェルメール展で5枚。ルーブルで2枚。今回神戸で1枚とまだ8枚しかフェルメールには逢っていない。
死ぬまでに何点のフェルメールに逢えるのかというのもある意味で人生の楽しみなのかもしれません。
2005年には兵庫県立美術館と国立西洋美術館にドイツのドレスデン国立美術館からフェルメールの作品「窓辺で手紙を読む女」が来日します。また1枚日本でフェルメールに逢える喜びをどう表現したらいいのでしょう。

さて、
この絵は、フェルメール自身がとても愛した絵で、死ぬまで手元から放すことはありませんでした。
フェルメール自身であると思える画家が、カンバスに描こうとしているのは、月桂冠を被り、右手にラッパ、左手に本を持った青い服を着た女性。女性の後ろには、折れ目のある古そうな大きな地図が掛けられ、天井には金色のシャンデリアが輝いている。
ラッパと本を持って月桂冠を頭にのせた女性は、ギリシアの歴史の女神であるクリオであると考えられ、画家の着ている服裝は、フェルメールが生きた時代より1世紀か2世紀前のブルゴーニュ風と呼ばれるものだそうです。

『栄光のオランダ・フランドル絵画』展
2004年4月15日-7月4日 東京都美術館
2004年7月17日-10月11日 神戸市博物館



2004年 8月 1日(日)   『Paris 1900』展  ベル・エポックの輝き
サントリーミュージアム天保山  大阪

1900年、激動の時代を経て、パリでは万国博覧会が開催されました。
そのパヴィリオンのひとつとして建設され、その後美術館として残されたプティ・パレ美術館から、ベル・エポック(美しき時代)期を中心に絵画、彫刻、工芸品など約150点が展示されている展覧会です。

プティ・パレ美術館は、パリの中心地付近にあり、交通も至便な場所にあるにかかわらず、私は渡仏の際に立ち寄れなかった美術館であり、今回の展覧会は楽しみにしていました。

今回の展覧会で最初に迎えてくれるのが、ジョルジュ・クレランの『サラ・ベルナールの肖像』


紅い天鵞絨のソファーに白いドレスを着て坐っている痩躯の碧眼の美しい女性。
彼女の名前は、サラ・ベルナール。
フランスの誇る大女優。
望まない子として生まれたサラはすぐ里子に出され、15歳まで修道院に預けられた。
その後、母とその妹は所謂妾稼業で生活の安定を見、彼女は母に引き取られる。
18歳で初舞台を踏み、その後の成功で確固たる女優の地位を確立したあと、自分でも劇団を結成。亡くなる79歳まで女優でありつづけた人である。
ユーゴー、プルースト、ワイルドなど文豪、芸術家たちとの交流。そして、サラのポスターを描いたことにより、一夜にして時代の寵児となったミュシャ。
≪ジスモンダ≫で成功を手にしたミュシャはサラのポスターを何枚も書き、舞台衣装なども手がけた。
サラとミュシャの出会いにより、アール・ヌーヴォーの幕開けをみる。

サラは死を模倣するため薔薇の木で作った棺で眠ったことも有名な話である。そして、サラ自身も絵画や彫刻など創作した。

サラ・ベルナールのことは、フランソワーズ・サガンが架空の往復書簡仕立てで書いている本がありサラやその時代を知るのによいと思います。

さて、そのサラの肖像画やミュシャのポスターのほか、
展覧会には、セザンヌ、ルノワール、ピサロ、マイヨール、そして、象徴派のモロー(二点きていました)やルドンも展示され、充実した内容でした。

2004年7月3日-8月31日  サントリーミュージアム天保山



2004年 5月 8日(土)   『クノップフ展』
ブリュッセル王立美術館  ベルギー ブリュッセル

パリからタリスで1時間25分でベルギーの首都ブリュッセルに到着します。

この美術館はルーブルには及ばないものの地上3階と地下8階合計11階でコレクションはとても充実しています。



内部もご覧のように非常に美しく、ゆったりと回りたい美術館です。

訪れた日には、クノップフの特別展が開かれていました。


↑クノップフ展の案内 英語版

クノップフは幼少期をブリュッセルで過ごし、世紀末のベルギーを代表する象徴主義の画家であり二十人会の創立メンバーで前衛芸術運動に参加した。

ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』のイメージをそのまま描いたような深い静謐。

彼のミューズだった妹のマルグリットを描いた絵も當然の如く展示されていた。


(白い服の立位の女性はマルグリット)

偶然のことだったが、ギュスターブ・モローの『出現』がこの展覧会に貸し出されていて、私はサロメとブリュッセルで会うことになった。感涙である。


2004年1月16日-5月9日  ブリュッセル王立美術館




2004年2月11日(水)   『大英博物館の至宝展』
神戸市立博物館 三宮

昨年2003年に大英博物館は創立250年を迎え、さまざまな記念行事が開催されたが、昨年末から東京からはじまっている『大英博物館の至宝展』は同館8つの収蔵部門が参加する画期的内容で、海外の展覧会でははじめての試みだそうで、この展覧会が、東京、神戸、福岡、新潟とまわってくれることも日本人として嬉しく思います。

そんな展覧会なので前評判も高く、東京での開催では大多數の来場があったとお聞きしています。

神戸でも1月17日から開催されて、多くの神戸をはじめ関西の方々が博物館を訪れているようです。
私が行ったのは2月11日祝日の13時ごろ。
博物館の中に入るまで1時間待ち。
入館してからはあまりの人で進むのも大変という状況でした。

大英博物館は医者のハンス・ローンの収集品八万点近くを国に寄贈したことからはじまる。現在の収蔵品は700万点以上。100室近い展示室があり年間500万の人が訪れる。

大英博物館の収集品のなかで一番有名なのが、ナポレオン軍がエジプトのロゼッタで見付けた石。「ロゼッタストーン」だが、今回は複製品が来日。「ロゼッタ・ストーン」は大英博物館の目玉であり、1972年にパリに出展された以外国外には出されたことがないので複製展示で仕方無いというかんじだが、複製とわかっていても石のまわりには人だかりができていました。

他、今回の展覧会では展覧会の名のとおり、至宝ばかりであったがそのなかのものをいくつか。

イラク北部で出土したB.C645年ごろの雪花石膏に彫られた矢を受けて口から血を吐いている瀕死のライオンは印象深い。当時アッシリアではライオン狩りは武力の訓練や儀式として欠かせないものだったという。

古代エジプトではミイラがさかんに作られていたが、臓器は遺体とは別の壷に保存された。
遺体に残したのは人間存在の中心で知性を宿すといわれていた心臓だけである。
別に保存される臓器はすべてではなく、常に保存されたのは、肝臓、肺、胃、腸でこれらの臓器をナトロンという塩化化合物で乾燥させ、油脂と樹脂をを塗って亜麻布で巻いたという。これは遺体と同じ処置である。
これらの臓器をエジプト学者が「カノポス壷」と呼ぶ壷におさめ、ミイラのそばに安置したという。
4柱の小神(ホルスの息子たち)が各臓器を守るとされ、壷の蓋をヒト、ヒヒ、ハヤブサ、ジャッカルを象って作られている。
ヒトには肝臓を、ヒヒには肺を、ハヤブサには腸を、ジャッカルには胃をおさめたという。
今回出展のネスコンスのカノポス壷は、形状もほぼ完璧であり、彩色も鮮やかでした。
他にもミイラ関係では、ミイラ本体や、ミイラマスク、ミイラ棺、ミイラボード、リアルなミイラ・ポートレートもありました。

ミイラ・ポートレートはシナ材に描かれたものだったが、見たものはB.C60年ごろのローマ占領下のエジプトのもの。
文化も多文化であったらしく埋葬習慣もギリシアとの混合様式がとられていたようだ。
溶かした蝋を顏料に混ぜて描かれたミイラになった死者は、裝飾品をつけ、真直ぐにこちらをみつめている。

あまり知られていないようだが、大英博物館には版画やデッサンのコレクションが250点以上あるという。
デューラーの版画、クラーナハの素描、マンテーニャの素描、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの素描などが出展されていたが、「腕を上げる男と足の習作」というラファエロのデッサンは、キリストの復活に描く戦士の習作とうことであるが、ラファエロというよりもまるでミケランジェロの筆であるような筋肉隆々の裸体であった。

展覧会のちらしの表紙になっている「牛頭のある女王のリラ」は、イラク南部プ・アビ女王の墓から出土した二点のリラのひとつで、リラとは小さな竪琴のことである。
リラは墓抗の壁に立てかけられていて、宝石類や10人の女性の遺体も見つかり、殉死者と考えられたが、ひとりの女性はリラのすぐそばに横たわり、指は弦にかけられていたという。光り輝く牛頭裝飾は押潰されていたので角とともに復元されたらしいが、髭、髪、目はラピスラズリ製。
侍女はリラを女王の遺体の横で自分が死に絶えるまで奏で続けていたのだろうか。



2003年10月18日-2003年12月14日 東京都美術館
2004年1月17日-2004年3月28日  神戸市立博物館
2004年4月10日-2004年6月13日  福岡市美術館
2004年6月26日-2004年8月29日  新潟県立万代島美術館



2003年 12月25日(木)   『トルコ三大文明展』
大阪歴史博物館 大阪中央区

* トプカプ宮殿の至宝、日本初公開 *

ヒッタイト帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国三帝国の珠玉の至宝を帝国ごとに分類し紹介している展覧会。

ヒッタイト帝国は、紀元前2000年ごろ、小アジアに移動してきたインドヨーロッパ語系諸族の一派とその王国であり、馬、鉄器、戦車を使用して軍事に長け、前16世紀に小アジア、メソポタミア、シリアの各一部を征服し、前14世紀から13世紀にかけて小アジアを中心に大帝国を建設しました。
前12世紀、海の民に都ハットゥサを破壞され急激に衰亡しますが、本展覧会ではキュルテベ、ボアズキョイ、アラジャホユックなど城塞都市のあった遺跡から出土した芸術性の高い神像や、リュトンと呼ばれる聖獣の容器、彩文土器のほか、当時の歴史・宗教を物語る金製の印章や粘土板、石碑やレリーフなどを展示されていました。

ビザンツ帝国は、東ローマ帝国のことでローマ帝国が395年に東西に二分され、西ローマ帝国は476年滅亡したが、一方の東ローマ帝国はその後およそ千年にわたって存続しました。
アレクサンドロス大王の東方遠征ののち、キリスト教文化の流布とともにこの地に入ってきたモザイク画や、アレクサンドロス大王像頭部に代表されるヘレニズム・ローマ様式の優美な大理石彫像、金工芸品などを展示されており、豊穣の神といわれるたくさんの乳房を持つアルテミス像はアレクサンドロスの頭部像と共に印象深い陳列でした。

オスマン帝国は、オスマン一世がビザンツ帝国の衰微に乗じてアナトリア西部に建設したイスラム国家で、1453年コンスタンチノープルを攻略しビザンツ帝国を滅ぼします。16世紀に最盛期を迎えますが17世紀末から衰退に迎い、第一次戦争で敗れた後トルコ革命によって滅亡します。
600年にもおよぶ繁栄を続けたイスラム世界の大帝国は樣々な至宝秘宝の数々を残ししています。

メリナ・メルクーリ主演の映画「トプカピ」(1964年・米)で有名になったトプカプの短剣は、オスマン帝国のスルタン・マフムート一世(在位1730〜1754年)がイラン・アフシャール朝の君主ナディール・シャーに贈呈するために作らせたものといわれています。しかしながら不幸にもイランで反乱が起こり、ナディール・シャーが殺害されてしまったため、オスマンの大使は来た道を引き返し、短剣はトプカプ宮殿の宝物殿に納められることになったそうです。この短剣がトルコ国外に持ち出されるのは、2000年にアメリカで開催された展示会のみで今回で二度目だそうですが、
とにかくそのエメラルドの大きさと輝きと色の深さにはため息が洩れるほどです。




2003年12月20日-2004年2月16日 大阪市立歴史博物館



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