双翼
双 翼

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山科真白
2005/07/28

まぁ、たいした話じゃないと言われたらたいした話じゃないんじゃがな。

ワシの家には2つの睡蓮鉢があってな。

そこにメダカが泳いでおる。

春過ぎから、メダカは交尾をはじめて、五月も終わる頃になりゃ、うじゃうじゃ子メダカが生まれるのじゃ。

子メダカは親と一緒だと親が食っちまいよるから、別にしたり、餌も工夫してやらんとならん。
睡蓮鉢の睡蓮は2つとも一度として咲いたことはないのが悔しいが、メダカのおかげでワシも楽しませて貰っとる。

毎朝、2つの睡蓮鉢と子メダカたちに餌をやって、食べっぷりを眺めながら、親メダカたちがどれくらい卵を産んでるのか見るのが日課でな。

メダカは産卵の後暫く、メスは受精卵を尻にくっつけたまま泳ぎ、昼くらいに水草になすりつけよる。

まぁ、よくも毎日毎日、メスは子をぎょーさん産みまくるわとワシも驚いておったが、
右の睡蓮鉢にはオスは何匹かいるが、左の睡蓮鉢には、オスは1匹しかおらんのじゃ。
ということは、左の睡蓮鉢の方では、生殖活動をオス1匹ががんばとるちゅうことなんやが、

その1匹のオスちゅうのが、冷凍カレイを解凍したような肌艶をしとってな、
ワシが見ても冴えへんヨタってるようなメダカで、ほんまにコイツが、ひとりでがんばっちょるんかいささか信じがたい。

そこで、ワシは毎日そやつを観察することにしたんじゃ。

すると、そやつは、なんと餌をまったく食いよらん。
全部メスに食わせて自分はヨタりながら悠々と泳いどる。ヨタリながら悠々ちゅうのは、ちょっとヘンやがのぉ。ハハハ。

毎日見るが、やっぱりそいつは餌を食わん。メスは全部毎日卵をつけるし一体どうなってるんじゃ。

メスが尻につけてる卵は受精卵なんじゃ。金魚みたいにわけもなく卵を産んだりはしない。

カフカの小説に『断食芸人』つうのがあったが、『断食魚』よろしく、そいつは、餌をメスに譲り、ひたすら生殖活動だけをやってるなんぞ、なかなか見上げた根性じゃねーか。水中のプランクトンをパクパクしてるくれえじゃ、そりゃ、肌艶も悪くなるだろうよ。

その断食魚はそのまま生き続けた。

夏のえらい暑い日、突然、断食魚が死におった。

なぜか、そやつの命は永劫のような心持ちで見ておったからワシもなんや辛かった。
死んだ断食魚の周りを卵をつけたメスが泳いでいた。

次の日、メスは1匹も卵をつけとらんかった。
そして、咲いたことのない睡蓮が真っ赤な花を咲かしておった。

西王燦
2003/12/02

 おかあさん、あたらしい品種の林檎、ありがとう。とても甘くて、私よりも甘党の主人が喜んでいました。こちらの方では、おととしに植えたカリンの木に5つばかり実が付きましたので、焼酎につけてみて、うまく出来上がったら送りますね。

 さて、このようなことを書くべきかどうか、さんざん悩んでいるのですが、、私の方では、そろそろ限界かなと思いますし、その後のことについてはあらためて相談もしなくてはならないことになると思いますので、思い切って書きますね。

 私たちは、なかば紹介、なかばお見合い、みたいにして結婚しましたでしょう。家族ぐるみの食事会という、あの日の雰囲気も楽しかったし、その後、きちんとした別のホテルも主人はひそかに予約していて、けっこうやるじゃない、と思ったものでした。そんなふうにして二人で一夜を過ごすほうが、むしろ、私の家族に対しても安堵させると考えたのじゃないかしら。
でも、あの夜、私たちには何もなかったのよ。何もなかったというとヘンだけれど、、、。私だって、一人で暮らしている時間が長いから、ステディな関係の人は何人かいたし、、、。で、彼の触り方、とてもよかったの。でも触るだけで、それ以上は、、、なんていうのかな、挿入と書くと露骨かしら、とにかく、それ以上はしないのね。
その夜については、ちょっと期待したりしていた私のほうがはしたない面もあったけれど、それが、ずっと、それ以来、ずっとそうなの。ちょっとビミョーな書き方だけれど、男性としての能力がどうのこうの、というのではないのね。

 きのう、主人とR美術館で待ち合わせをしました。どんなに忙しくても、週末には、こんなふうにいろんなプランをたてて外で食事をしたり、すこし遠出のドライブをしたり、上に書いたこと以外は、申し分のない人なのね。ちょうどドガの、ちいさな回顧展をやっていました。私、あまり詳しくなかったのですが、ドガは、晩年に失明したそう。失明したあとは、モデルに触りながら、その感触を彫刻、というのか、ほらブロンズね、に残していったそう。目が見えないぶん、指の感触が、女のからだを波打つように表現していて、なんだかきれいな音楽を聴くような作品でした。

 その中の、一体のブロンズと同じものが、主人の書斎の机にあるのです。主人のものは、おそらくレプリカだと思うのですが。結婚してから、たびたび見ていたのに、私はまったく気にしていなかったのですね。ドガの回顧展で見る女の彫刻は、いったい主人の暗示なのだろうか、とにかく、私は軽い眩暈を感じて立ちすくんでしまったのです。

山科真白
2003/09/28

C

首すじの綺麗な女に惹かれた。

ずっと昔からだよな。 独り言のように呟き苦笑いする。

昨夜、春でもないのに執拗になく猫の声にうんざりしていた。窓を締切っていても猫の鳴き声が部屋の中に流れ込んでくる。
パリの野良猫ちゃん、どうした?
などと思っていたのは最初だけで、だんだんイライラし、何度も狭いベッドの上で寝返りを打つ。
寝返りを何度打っても、ニャゴーニャゴーという猫の声が部屋の中に充満し、まるで壁に塗りこめられたポーの黒猫がすぐ横の壁の中にいるようで苛立った。

「いい加減にしろ」と外に出て行って、猫の首根つこを掴んでどこかに放り投げてやるとベッドから立上がった時、猫は「ぎゃおん」と一度鳴いたきり静かになった。

誰かが浩介と同じことを思い、同じことをしたのだろうか。それとも・・・・・

猫の声が止んでから、また猫のその後のことをあれこれめぐらせますます眠れなくなり朝を迎えた。

早朝の舖道に出ても猫の姿は見えなかった。鳴き声はもちろん聴こえず、上ったばかりの朝日が街を照らしていた。

浩介はそのまま車に乗って、南に向かった。
パリを抜けるとほどなく田舍ぽい風景が広がっていく。

ただ、気の向くまま車を走らせていると、こじんまりしたハーブ園に行き着いた。

自家製のハーブの苗やオイル、香水などを扱っているようである。
ラベンダー畑の横に白い大きなパラソルをいくつか広げた下に小さなテーブルと椅子が何脚かあり、ちょっとしたバールになっていた。

ハーブティを運んできた女は日本人だった。
どうして、こんなところに日本人がいるのか・・・訳ありの女なのかもしれない。
訳ありなのは浩介も同じだった。

「カメラマンの方ですか?」女は日本語で話し微笑んだ。

「ええ。そんなもんです」
首からひっかけているライカを心持ち掲げて見せた。
「あなたの首すじを撮らせて貰えませんか?」
どうしてそんなことをスラスラ言えたのか思い返してもよくわからない。
ただ、気づいたときには口から言葉がこぼれていた。

「ええ。こうですか?」

女は素直に髮を持ち上げ、
そして、
浩介が髮を後ろによけるために女の首すじに触れても羞じらいの仕草を見せただけだった。

「あなたの名前を知りたい」
どうしてこういう場面でこのような凡庸なことを言うのかすぐに後悔したが、女は小さな声で、

「マリといいます」と答えた。

西王燦
2003/09/14

A
 磯崎くんの交通事故死は、それが名神に入ってからのことだったので、小さな記事だが、新聞で読んだ。いつも乗っているワーゲンで、大型トレーラーに追突したらしい。
 私の部屋を出て行ってから、次の日の朝早くこちらへ戻るまで、磯崎くんがどこで誰と逢っていたのか、私には解らない。とにかく、磯崎くんの実家に電話をすると、彼とそっくりの声で応対に出てくれたのが、その「叔父さん」という人だった。

 叔父さんは、電車の駅まで迎えに来てくれて、

「姉は動転しているし、義兄はまったくあなたのことを知らないので、不愉快なこともあろうから、ざっくばらんに言ってしまうが、晋平くんは、ガールフレンドとの別れ話のためにここに来て、ほとんど眠らないままあなたのところに帰っていくところだったようだ」

「あなたのところに」という部分には、叔父さんだけが私たちの関係を知っている軽いニュアンスが含まれていた。

冗談じゃない、、、

通夜は、叔父さんが言ったとおり、最悪だった。不愉快なんてものじゃない。私の居場所なんてどこにもない。

泣きそうな私を、叔父さんが誘ってくれて、

「もしよければ、というか、こんな海辺の村じゃ、それしか手がないんだが、俺の船に泊まるといい」

と言った。

船というのは、まるで年代物のクルーザーだった。その船の中で、焼酎を生で飲みながら語ったのが、パンダの指のこと。
それまで、なぜか気づかなかったが、「叔父さん」の左手には、親指がなかった。
私もそうとうに酔っていたせいだろうか、
「ねえ、じゃ、親指を無くしたら、替わりにペニスに余力が行くの?」
などと馬鹿なことを喋っていたようだ。

なりゆきで、叔父さんと一緒に寝た。磯崎くんよりもゆっくりとした、おだやかなセックスだったが、かすかに漂う潮の匂いのように、船端を叩く波の音のように、私は何度もオルガスムスを感じた。

「もう余力はないが、、、」

と、彼は笑いながら言い、

「この指のように、無くした部分は、ずっと後になっても、ちょっと痛むんだよな」

と、付け加えた。

山科真白
2003/08/14

B

搭にからだをつっこんで梟にとまられている三日月

闇に口枷をされて冬の空に浮いている三日月

鴨の喉を噛んでいる狼の尻尾を噛んでいる三日月

牛の黒い斑点模様にひっかかってる三日月

犬を連れた子供のオーバーオールの肩口を伸ばしている三日月

歯のない老婆にスカーフを巻かれている三日月

きらきら光る真珠のような種子をいくつも畑に蒔いている三日月

家鴨の咥えている紙の階段を上ろうとしている三日月

渡り鳥に色とりどりの小さな輪を首にかけている三日月

恐ろしく年をとった魔女に鋏でチョキチョキ切られている三日月

禿頭の初老の男の眼鏡の一部になってみた三日月

包帯でぐるぐる巻きになり右手を骨折した少女と繋がっている三日月

黒い家の粗末な戸の閂になっている三日月


パリのホテルの部屋で浩介はスタシスの三日月の画集を見ていた。
このリトアニアの画家の描く世界は、現実から逃避するにはなかなか似合っている。

月よ、君はいつからそこにいたんだい。
パリの街は雨に降られていた。

月の見えないパリで浩介はルームライトの光を見ていた。

西王燦
2003/08/13

@ 磯崎くんの叔父さんが話した、パンダの指についての寓話は次のようなものだった。
 
 「むかしむかしパンダの祖先は、欲の深いオスだった。少しでもたくさんの竹の葉を掴めるように、神様に指を六本ください、とお願いした。神様はペニスに使おうと思っていた突起を、六本目の指に流用した。さて、その欲の深いパンダのオスが成長して、発情期のメスに出逢った。いざ交尾しようとするとペニスが見つからない。欲の深いパンダのオスは、あわてて神様のところへ行き、ペニスをください、とお願いした。神様は六本目の指に使っていた突起を引っこ抜いてパンダのペニスに使うことにした。しかし、六本目の指はしっかり根が生えていたので、途中で千切れてしまった。この神様は、面倒なことが嫌いな神様だったので、千切れた半分をパンダのペニスに使い、残り半分はそのまま指として残しておいた。それで、今でもパンダには六本の指があり、ペニスはとても小さい」

「ねえ、パンダに指が六本あるって、知ってる?」

ベッドから降りようとする私の手を握って、磯崎くんが甘えたような声で言った。

パンダなんて私は特別好きじゃないし、小学校の旅行で一度見に行っただけだし、そもそも何故、急にパンダなの、と、そうまでは言わなかったが、磯崎くんの手をふりほどいて
「目玉焼き作るね、あ、ライ麦パンがあるからね。パンだ、パンだ」

と変な洒落を言いながら、下着を付けた。

服を着るあいだ、それを見ているのはいつもの癖だけれど、その朝に限って、なんとなく寂しそうな顔をしていた、と思うのは、後になってから私が混乱したせいだろうか、それとも虫の知らせみたいなものだったのだろうか。

私が磯崎くんと同棲を始めたのは、磯崎くんの手や指が好きだったから、と言ってもいい。ボクシングのプロテストに合格したという、その手は、華奢なところなど全くなくて、無骨で、節くれ立っていて、まるで石斧や手槍で動物を殺していたような手だった。

山科真白
2003/07/23

A

岡本浩介は、会社を辞めた。

脳動脈瘤なるものが見つかってからというもの時はめまぐるしく動いているように感じる。

浩介は53歳。大手の商社に勤務していた。

大学の同級生と24歳で結婚。
妻は美しく清楚で家柄の良い女だった。
新居になった妻の親が所有していたマンションの室内は、イタリア製の家具で統一され、テーブルには毎日違う花が飾られていた。

自分の妻になった女がどうして家柄もたいして良くない実家も裕福ではない自分と結婚する気になったのか浩介はわからずにいた。

何ひとつ不自由はなかった。

だが、その どうして? という疑問は日増しに大きくなり、どうしようもなく浩介を苦しめた。

耐えられなくなった浩介は、妻に離婚を切り出し、悲しいほどあっけなく妻は離婚を承諾した。

妻は浩介と別れたあと金持ちの良家の男と結婚し、子供を生んで今もその家庭生活を営んでいるはずだ。

浩介はその後、結婚することもなかった。良縁といわれる結婚は、結局は人間はひとりなんだということを思い知らされたような生活であったし、他人と濃厚な関係を作りあげていくのは疎ましかった。

仕事はいつも忙しく、平日は夜遅くまで会社にいた。週末は必ず一回は接待ゴルフが入っていた。

なにも考えずに生きてきた。

はじめて老後というものを考えた浩介は手術をすることをやめた。
動脈瘤は、とれば何も問題はなくなる。
しかし、浩介の老後の面倒をみてくれる家族はいない。
死は通常、ひたひたと時間をかけておとずれる。
破裂したら、すぐ死ねるのなら他人に迷惑をかけることもないし、年を取れば、苦しまずに、人の手を煩わさずに死をのぞむものではないのだろうか。

いつ、死ぬかはわからない。

それでいいじゃないか。

仏蘭西にいきたしと思へども仏蘭西はあまりに遠し


遠くはないさ。 
浩介は パリ シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。

西王燦
2003/07/16

 雨ばかりの、寒い夏だ。

 愛撫するというのは、私の手が、女の首や肩や乳房や尻に触れて、それらの部分を性的に感じさせる、ということではない。むしろ私の手指がそれらの部分の手触りを感じているということの方が多い。

「じゃ、その反応を楽しむということはないの?」
と、少女は聞いた。

「え?」

 私は絶句しながら、自分の作業中の木片に小刀を当て続けた。ちいさな受け皿は完成していて、笹竹で造ったトンネルも出来ていた。その中を通る、いわばペニス状の押し棒の具合がよくない。果肉を突き破って種子だけを飛ばすには、笹竹のなかでは、水鉄砲よりもやや緩い感じで動かなければならないし、トンネルの先端に嵌め込んだ星型の穴の手前では、きっちりとサクランボの果肉と種子を分別して、下の捨て皿に落とさなければいけない。

「お父さんが言うには、このようなプラスティック製の種抜き器では、日本のサクランボが可哀想だ。是非とも木製のやつを造ってほしい」

と。その少女はアメリカ製のプラスティックモデルを小脇に抱えて、私の工房に来た。


 たしかに無粋なデザインではあった。

 なんというのかな、男根中心主義というか、バネで補強されたペニスがサクランボの果肉を突き破って種子を飛ばすというふうな、荒くたい仕組みを、堅めの木と竹で造ってくれというのが、注文であった。

 『木製器具製作承り』と、白ペンキで書いた、表戸のガラス越しに、女房が植えてあった名前の知らぬ花が咲いている。そろそろ、女房の三回忌だ。
水浸しの庭に、まるでへたな睡蓮のように咲いているこの花は、なんだ?

山科真白
2003/07/10

@

ことのはじまりは脳ドックなるものを受けたことからだった。
異常が見つかったので早急に脳外科を受診するようにと会社から言われ、受診した公立総合病院の脳外科の診察室で医者と浩介は向かい合って座っている。

「未破裂脳動脈瘤が見つかったということです」医者は白衣のポケットから薄っぺらいものさしを取り出し、
「ここの部分ね。ここ。わかりますか?」

この写真が自分の頭のなからしいということはわかるが、脳の正常と異常の違いなど無論浩介にわかるはずもない。

「破裂前に見つかってよかったですね。いつ手術しますか?」

「ちょっと待ってください。これはどういうものなのかもう少し説明していただかないと」

「脳の動脈にコブのようなものができているわけです。破裂するとクモ膜下出血ですね。お聞きになったことがあるでしょう。破裂した際の死亡率は50%ですが、あなたの場合、大きさから言って破裂するとまず助からないでしょう」

「それはいつ破裂するのですか?」

「それはわかりません。こうやってお話しているときに破裂するかもしれませんし、将来、破裂する前に別のご病気や事故で亡くなるかもしれませんしね。頭に爆弾を抱えてる状態です。治療の方法は開頭しない方法もあるのですが、あなたの場合、手術の方がよいと思います」

「破裂すると?」

「死亡します」

「すぐ?」

「ええ。 未然に破裂を防げてよかったですね。今日入院の申し込みをして帰って下さい。早めに開頭しましょう」

病院を出て少し歩くと小さな公園があった。
岡本浩介は、誰もいないその公園のブランコに座った。
ブランコに乗るなんて何年ぶりなのだろう。
梅雨明け間近のどんよりとした空の下には、梔子が咲いていた。
甘い芳香を放っているのに首を垂れたまま咲いている梔子をぼんやりと見つめた。

西王燦
2003/06/28

C

「紅色のヤマボウシですね」と、私は言った。

「ええ、これも母の趣味で植えたものらしいです。咲き始めの頃は白いのに、咲き終わるころには、あんなふうに紅色になるのです」

ちいさな料亭だが、庭のつくり方は風情がある。雪見障子から、散りそめたヤマボウシの、寂びた口紅のような色の花が見える。

「なんだか寂しげな花ですね」

と陶子は言った。

「そう思いませんか?」

と、徳利に残っていた酒を私の杯に注いだ。

「このお宿、私の代で、おしまいにしょうと思ってますのよ。もちろん、お譲りするのは父と一緒に尽くしていただいた方にしようと思っていますので、水月亭という名前は残るかもしれませんけれど、、、あの、、お付き合いしている方がボストンに居て、はやく来なさいと催促しますもので、、、」

「椎葉さまには、いろいろ突然なお話で、申し訳ないと思いますけれど、これが、父の遺品のなかにあったネクタイピンです」

「あの、、それから、、、今夜、お泊まりいただけますよね」

と言った陶子の顔は、それまでのような落ち着きをなくして、いくぶん上気していた。

西王燦
2003/06/28

B

 その女と暮らしていたのは、ふたりが20代のはじめの頃で、私が庭園設計を学び、彼女が清水焼の修行をしていたころだ。どこで出逢ったかは思い出せないが、京極塔子という、いかにも訳有りな出自の名前の女だと、生意気に思ったことを思い出す。数ヶ月の同棲ののちにしばらく別れて暮らしたが、ある公園設計のシンポジウムで再会したとき、彼女は信楽焼の新進作家としてすでに著名になっていた。
 
 あの女と何年暮らしたのだろう。私にとっては最悪の日々だった。彼女の作品を「気取った土管」だとか、「日干し煉瓦の色」だとか、さんざんに悪態をついた。
 
 ここにある睡蓮鉢は、まぎれもなく塔子の作風を遺している。ちょうど翼龍が交尾するような、というか、しかもそれをきわめてシンプルなかたちに仕上げた双翼の鉢だ。

 まさか、、、

私は声を呑んで、もう一度、陶子と名乗る女の横顔を眺めた。

西王燦
2003/06/28

A

 温室のなかは熱帯雨林を思わせるようなムッとする湿度と暑さだ。熱心にカメラを向ける老人たちの頭越しに、若い女性の姿を探した。父親は私とほぼ同じ歳だから、娘はおそらく30歳前だろう、という勝手な想像と期待とを抱きながら。

 「あの、失礼ですけれど、椎葉さまですね。陶子です」

背後から声がかかった。迂闊だった。このゲームでまず一点取られたような気分であった。

 「あ、はい。椎葉純平です。はじめまして」

年甲斐もなく照れ笑いを浮かべて答えた。さきほどまで抱いていた勝手な妄想を見透かされたような気がしたからだ。

 「タイピンのほうは、あとで、お宿でお渡ししたいのですが、、あの、ごゆっくりできるのですよね。もうひとつここでお見せしたいものがあるので」
と、ひどく落ち着いた口調で言うと、彼女は温室の扉を開いて、睡蓮池に面したベランダへ向かった。雨はすこし本降りになりそうで、池の面には細かな波紋が浮いていた。
 ベランダには数個の睡蓮鉢があった。綺麗な火色の信楽焼だ。

 「母の作った作品です」

 そのように言う陶子の横顔を見ながら、突然、30年ちかく前に一緒に暮らしていた女のことを思いだした。似ている。温室を出て、すこしは風も吹き始めたようなのに、私の額には余計に汗が滲んでいた。

山科真白
2003/06/28

梅雨の空からは今にも雨が銀色の針のように落ちてきそうなのに、そんなことはまったく気にしない様子で彼女は外のテーブルを選択した。

運ばれてきたアイスカフェラテに差してあるストローを、身を乗り出すように軽く咥えて上目遣いに僕を見る。
そして僕を凝視したまま、彼女はのどをかすかに上下させて、ほどなくストローからくちびるを離した。

そして僕も顔見知りの文学をやっている連中のことを話し出した。

彼女のはなしでは、彼らと会ったときにこんな話をしたそうだ。

好きな男に、表現されるとすれば、
書かれるのがいい?
描かれるのがいい?
撮られるのがいい?
という話題で、女たちは三様の答えをし、男たちは答えられないと言ったらしい。

「なるほどね」 僕はまた新しいタバコに火をつける。

このオープン・カフェの前は人通りが多い。
彼女が脚を組みかえるたびに、「おいおい」と思いながら彼女を見るが、彼女は空模様と同様に道行く人にはなんの関心も持ち合わせていないようだった。
爪先を時折揺らしながら、そのことにも自分では気づかず、彼女は話を続ける。

「それでね、意外だなぁと思って」

「なにが」

「だって、彼女が描かれるのがいいって答えるって思ってなかったもん」

「そうかなぁ」

「描かれた彼女が想像できなかったからなのかなぁ」

「うん。たしかに。ああ、音楽にされるのもいいよ」

「アルマ、ヴァラドン、サンド ふふふ」

「どうして笑うんだよ」

「なんか可笑しくなっちゃって」

「変な女」

「私を彫ってくれる人がいたら紹介してね」

「は?」

彼女が席を立つと、ぽつぽつと降ってきた雨が頬にあたった。

西王燦
2003/06/23

@

6月28日午前11時に、「Nympaea gigantea」という睡蓮のところでお待ちします。じつは、去年55歳で亡くなった父の遺品を整理していましたら、あなたにお渡しするようにという父の伝言とともに、不思議な形のネクタイピンが出てまいりました。しかも、父の伝言には、「Nympaea gigantea」という睡蓮の前で、これをお渡しするように、という但し書きがついていました。


というEメールが届いた。いかにも悪戯のような謎かけだが、文面は丁寧な書き方で、発信者の名前も、きちんと書いてあった。

 この睡蓮の学名と発信先のアドレスから、陶子と名乗る女性が待ち合わせるつもりの場所は、すぐに解った。滋賀県草津市の、水生植物公園だ。

 ちいさな業界紙の記者を早期退職し、独り身の気楽さもあって、何をするでもない日々を送っている私には、むしろわくわくするような秘密の約束のようにさえ思えた。いささか年代ものになったアルシオーネのオイルを交換し、ひさしぶりに洗車もし、ロードマップ一冊をたよりに出かけた。

 水生公園は烏丸半島という、半島と呼ぶにはたよりなげな出鼻にある。それほどの渋滞に会わなかったせいで、午前10時過ぎには栗東に降りた。国道1号線と国道8号線が交差するあたりではいくらか混雑したが、そこを抜けるとほとんど水田のなかの直線道路で、ハウス栽培のメロン畑が点在するばかり。

 ちょうど「睡蓮まつり」が行われているらしく、駐車場には数台の観光バスと、カメラを担いだ老人たちがいた。「半島」に囲まれた入江を埋め尽くした蓮は、葉ばかりが茂り、遠くのほうでポ・ポ・ポと音がする。音が近付いてくるや老人たちはカメラをにわか雨から護るようにして館内に急いだ。

 振り仰ぐと、風力発電機の巨大な翼は、どんよりと曇った空を背景に、死んだように動かなかった。

山科真白
2003/06/22

「そんなのとってしまえよ。もう恥かしくないだろう」

女は昔のローマ人のようにシーツを一枚布としてからだにぐるぐると巻いていた。その胸元に手を差し入れながら男は言った。

「イヤ」  サクランボを口に含みながら女は甘い声で拒絶する。

「とっちゃえって」 
無理矢理からだに巻いたシーツを剥がそうとする男の口に女はサクランボをおしつける。

男と女は一度目の愛を交わしたあとだった。
男はトランクスのまま、女は肌にシーツを巻きつけてデパートで買ってきたサクランボをベッドの上でふたりで食べていた。
男も女もまだ、肌は火照っていて、男はからだのところどころに汗の粒が光っていた。

最初の一粒を食べたとき、まだ今日ふたりはキスをする前だった。
「酸っぱい」女は本当に酸っぱそうな顔を男に見せ、それを見た男もまた一粒サクランボを口の中に放りこんで顔をしかめた。
二粒目を口に入れた女は、「酸っぱいけど美味しい」と言い、男はそのくちびるをふさいだ。

男がその女を抱くのははじめてではなかった。もう何度目なのかよく考えるときっと思い出せるはずだったがそれも疎ましかった。
今、からだに巻きつけているものをとらなくても、女の滑らかで白い肌の隅々まで男は指とくちびるを這わせたし、女が最も隠したいからだの襞の奥まで男はよく知っていた。
女の可愛げのある羞恥心をからかい、じゃれ合いながらサクランボを食べている。

「だんだん、酸っぱくなくなって、全然酸っぱくなくなっちゃったね」もうふたりで随分サクランボを食べていた。

「そうだな」男は目の前の女をまじまじと見つめた。

「官能小説を書きたいと思ってな」男はそう言ってペディキュアを塗った女の足の指を口に含んで舐めまわした。

その様子を見ていた女は、

「あなたには無理だわ」と笑った。

そうかもしれない。同じサクランボも味がかわってゆく。
この女も何年か前までは男の腕の中で小鳥のようにふるえていた。自分から官能を引き出すというよりも男の動きをただ受容しているようなそんな女だった。
なのに今は、綺麗な白い背中に、大海を越えてどこまでも飛んでいけそうな艶やかな翼を見たような気がして、また荒々しく女を押し倒した。
女のウデのブレスレットが揺れた。



山科真白
2003/06/16

この場所に白い薔薇がひっそりと咲くことを私は何年か前から知っている。

車がスピードをあげて行き交う道路沿いの歩道を歩いていると、べったりと吸いつくように横たわっている黒猫に出会った。眠っている猫の顔を覗き込んでいると私の気配を感じた猫は目を覚まし、今までの弛緩した緊張感のなさからは想像できないほどの敏捷さで茂みに身を隠した。

猫を目で追い、猫を見失った茂みに白い花が咲いているのが見えて近づいてみると、自らの葉に身を隠すように咲いていたのは薔薇だった。
儚げな美しさを持つその白い薔薇を暫く見ていると、

「薔薇がお好きですか」と背後から声が聞こえた。

振り返ると、シックな濃い紺色のスーツに身を包んだ中年の男が立っていた。
彼がどこから来たのか、いつからここにいたのかまるでわからないままに曖昧な笑みを男に返した。

「この薔薇はいいでしょう。薔薇なのにあまり自己主張をしないで控えめだ。それでいてとても美しい」

男はゆっくりと進み出て薔薇に近づいた。
手入れの行き届いた光沢のある黒い男の靴を午後の光が照らしていた。
この歩道はもう少し行くと軽いカーブを切ったあと、一部上場企業の研究所が点在する地区に続く。
男はそのどこかから来たのだろうか。

「猫がここに」

「ほう。猫が」男は私の顔を見たあとにまた薔薇の茂みに視線を戻した。

「棘があるでしょうにどうしてここに逃げ込んだのか」私も茂みをまた覗きこんだ。

「きっとこの薔薇のなかには聖域があるのでしょう」

「聖域?」
私の不思議そうな声音に男は小さく笑った。

男は突然、ネクタイのあたりをまさぐりはじめた。黄色系のネクタイを留めていたネクタイピンをはずし、

「これを1年間預かってくれませんか」と差し出した。

先端が少し丸みを帯びているなんの変哲もないネクタイピン。
「手を」と私の目を見ながら男は言う。

ゆっくりと広げた私の左の掌に男はネクタイピンを置いた。

「来年の今ごろこの薔薇の猫が消えたあたりに置いておいてくださいませんか」

驚いて掌と男の顔を交互に見ている私に男は微笑みながらまた口を開く。

「来年、あなたが戻してくれたこのネクタイピンを僕は1年身につける。そしてまた次の年、ここに置くのでまた君はこのピンを茂みから探し出して1年間持っていてください。そしてまた次の年、この白い薔薇の下へ」

男が私を「君」と呼ぶことに戸惑いつつ、この突拍子もない秘密めいた提案にこのとき、私は頷いたのだろう。
どうだったのかその記憶は薄れて今ではもう思い出すことができない。

男は去り、私はそのネクタイピンを持ち帰って1年間、薔薇のポプリの小箱の中に隠した。
そして1年後、この薔薇の茂みの下へネクタイピンを置いた。
いつのまにかピンはなくなり、また1年後、白い薔薇が咲く頃、ピンはちゃんと茂みの下にある。

いつもネクタイピンのほかにも何もなく、その後、男と会うこともなかった。男の名前も知らず、顔も忘れ、もしかして彼自身も幻影なのかもしれないが、今年もたしかに、白い薔薇の下でネクタイピンを受け取った。

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