パリ4日目1ページ




2004年5月7日 今日も晴天のパリです。
本日は最高気温12度 最低気温3度。

まずはメトロ8号線でバスチーユに向かいます。
フランス革命がこの場所からはじまったことはあまりにも有名。
サド公爵もバスチーユ牢獄にいたんですよねー

この塔は7月革命の犠牲者に捧げられたそうです。
広場の周りは車がビュンビュン。
オペラ・バスチーユ。

もっとオペラを市民が楽しめるようにとのミッテラン元大統領の意図を反映してフランス革命200周年前夜祭の1989年7月13日に誕生したオペラ・バスチーユ。近代的な超モダンなこの建造物の設計はカナダ国籍の建築家だそうです。

バスチーユ広場に面して建つとても大きな劇場でした。
ヴォージュ広場。

南北にある王の館、王妃の館を含めて36のパヴィヨンに囲まれてるこの広場はパリ最古の広場です。 ルイ13世の騎馬像がありました。

とてもよく整備されていて広くて美しい広場でした。公園にすごく可愛い3歳くらいの金髮巻き髪ブルーアイの男の子がいて、その子の世話を黒人の人がしていました。こういう風景はパリではしばしば見かけ、黒人中年女性のベビーシターは多いのかななんて思ったりしました。
このあたりはマレ地区を代表する優雅な場所らしく広場を囲むようにある回廊には画廊、骨董商、レストランなどが並び、
この奧だったと思うのですが、ヴィクトル・ユーゴーの家があります。

1832年から48年まで住んだ家で『レ・ミゼラブル』のもとになる物語はここで書かれたそうです。
中にも入れるのでそのつもりで行ったのですが開館は10時からで私逹が着いたのは9時半だったので、出勤してきた職員の人に「10時から!まだまだ」と言われ、、、うーん。今日は死ぬほどいろいろ回らないとあかんから入館は断念。 しかしこのあたりいいかんじの町並みでした。
シュリー館。

アンリ4世時代の蔵相シュリーが完成させた17世紀当時のルネサンス様式で建てられた館。最初はギャンブラーの屋敷だったそうです。

中庭まで入れたのですが、観光客もほとんどいなくて閑静な小さな城に迷いこんだようなステキなことろでした。庭も美しくて上段の階段から見下ろすのがグッド。

サン・ポール・サン・ルイ教会。

パリで二番目に古いイエズス会の教会です。

敷地を提供したルイ13世が守護聖人で以前はルイ13世とルイ14世の心臓が入った聖遺物入れがあったらしいですが大革命中に金銀類は溶かされてしまい、収められていた心臓は画家のサン・マルタンがすりつぶして絵の具に混ぜて使ったという話が伝えられてるそうです。
サン・ポール・サン・ルイ教会の入り口の前に座ってた子供たち。

白い肌、黄色い肌、黒い肌と国際色豊かなこの子たちはみんな明るく無邪気でかわいかった。
サン・ポール・サン・ルイ教会内部。

ユーゴーが寄贈した聖水盤飾りやドラクロワの「オリーヴの庭のキリスト」など見どころも多く、長く吊るした金色のシャンデリアもきれいでした。

丸天井からは朝の光が差込み、祭壇は光に溢れていました。
リヴォリ通りをずっと歩きながら教会などに寄り道していたのですが、ビジターに優しいパリっ子の生活も垣間見られるようなステキな通りでした。

お洒落な花屋さんの前を通りかかったのでパチリ。パリも花屋さんは多いですが、これも薔薇をぎゅーぎゅーづめに花器に挿していて太っ腹。
切花は日本より少し安い気がしましたが鉢花は日本と同じくらいの値段でした。
サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。

四世紀、暴帝ネロの圧政下でミラノで殉死したジェルヴェとプロテ兄弟に捧げられた教会で1657年に完成したそうです。

パリで最も古い1601年製のパイプオルガンがある教会としても有名なのですがたぶんこれだと思うのですが・・・・今でも月に一度オルガンの演奏会が開かれているそうです。 音色を一度聴いてみたいですー
パリ支庁。

サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会の前がパリ支庁です。
正面じゃなくこれは裏手になるのですが、重厚なルネッサンス混合様式は十分に見てとれますよね。
冬には前の広場にスケート場が設置されるようですよー。
パリ支庁の横に回りこんだところ。

それはそれは見事できれいな石楠花が満開でした。
皐月仏蘭西 花たちと木々の緑を風が揺らします。
パリ支庁の隣はもうセーヌ川です。

これはアルコール橋を渡りながらルイ・フィリップ橋を撮ったところだと思います。

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