パリ2日目1ページ




2005年5月4日 相変わらずパリの朝はさむ〜〜い。ロングコートを着てでかけます。

メトロの最寄り駅は5番線のブレゲ・サバン。
  
メトロの入口。

まずはまだ朝早いのでポン・ヌフに向かいます。
5番線でバスチーユまで行き、1番線に乗り換えてルーブル・リヴォリで降ります。
パリのメトロは治安はイマイチですが、乗り方は簡単。乗り換えも迷うことがありません。
セーヌ沿いをテレカルト(テレフォンカード)を買ったりしながら歩いてポン・ヌフに到着。

映画でも有名になったポン・ヌフですが、渡るのには問題ありませんが修復中でした。
ポン・ヌフはパリで一番古い橋です。
ポン・ヌフはシテ島の突端に架かっている橋なのでシテの建物が見えます。
写真はコンシェル・ジュリーですね。マリー・アントワネットをはじめ断頭台に送られた王族、貴族、革命家らが、最後の時を過ごした場所です。
今回はコンシェル・ジュリーにはいかなかったので、内部の写真は去年の旅行ページを見てくださいね。
サン・ジェルマン・ロクセロワ教会

1572年聖バルテルミーの虐殺がこの教会の鐘を合図にはじまりました。
聖バルテルミーの虐殺を愛憎を絡めた王族側から見事に描いているのが、アレクサンドル・デュマの『王妃マルゴ』だと思います。

建築はロマネスク、中期、ゴシック、フランボワイヤン、ルネッサンスといくつも様式が混在しています。

ふたつの薔薇窓と翼廊の窓のステンドグラスは15世紀のもの。

モリエールはこの教会で結婚式をあげています。
パレ・ロワイヤル。
ルイ13世の宰相リシュリューが建てた城館。彼の死後、ルイ14世が幼少時を過ごしたが成人した王はヴェルサイユに移り住む。
1789年、弁護士デムーランは西寄りの回廊の前のカフェ・ド・フォアの前で「武器をとれ」と言われたと言われていますね。それをきっかけに翌日バスチーユ襲撃事件が起こりフランス革命へ発展していきます。。
18世紀に棟や回廊をつけ商店、賭博場、娼館、借家など活況を呈していたそうです。その後借家商店などは残り、コクトーやコレットがこの建物のアパルトマンに住んでいたそうです。。
南の中庭にある大小のストライプの円柱は260本あり、ストライプの芸術家ダニエル・ビュラン作。。
ルーブルにやってきました。三度目のルーブルです。
着いたのは9時半くらいでしたか。長蛇の列でした。メトロ入口から入ればよかったです。
しかし開館すれば早いです。ルーブルの荷物検査は簡単です。

モナリザの前は相変わらずの人人人。
去年とお部屋がかわっていました。
ルーブル メトロ入口方向の逆ピラミッド。
待ち合わせをする人とかも多いしお店もたくさんあるので人口密度高し。
あ、カルト・ミュゼはルーブルの内部で去年は売られていたのですが、逆ピラミッド近くの店舗の中での販売にかわっていました。
はじめてだとわかりにくいと思います。
これは同行者の食べたもの。お米はタイ米。
欲しいものをチョイスしたらお皿に盛ってくれます。
ギトギト系だぁ、、、けどこのチキン結構おいしかったらしいです。

私の昼食。上のと合わせて17ユーロくらいでした。
黒ぽいまるっこいのは、ブタンです。
この白いんげん豆のトマト煮おいしいんです。

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