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プチ・トリアノンをうろうろしているとほとんどグラン・トリアノンに着いてしま
うのだが、横から出る道がないのでまたプチ・トリアノンまで引き返し、引
き返したすぐ横の道を歩いてグラン・トリアノンに向かう。   
グラン・トリアノン

グラン・トリアノンは、ルイ十四世が寵姫マントノン夫人と過ごすために建
てたもので、ここへの訪問は舟を使い大運河を通ってなされたそうである。

ナポレオン一世は王妃マリー・ルイーズと共にたびたびここで過ごし、ルイ・
フィリップ王も家族とここを訪れました。

ドゴール将軍のにより大規模な修復工事が行われ、フランス大統領及び
外国の国家元首が公式訪問する際に滞在する居室が設けられています。
入口

ここもパリ・ミュージアム・パスで入れます。
入ってすぐにショップがありました。
控えの間。


鏡の間。

鏡の装飾はルイ十四世時代のものである。家具調度類の一部はマリー・
ルイーズが使用し、彼女はここに「大キャビネット」を置いていたそう。
2つのコンソールの上に堅石でできた2つの寺院の工芸品があるが、これ
はスペイン王カルロス四世からナポレオン一世に贈られたものである。
ルイ十四世の寝室 そののち王太子の大広間になる。

帝政下では皇后の寝室及び第二広間。

ベッドはナポレオンの寝室のもので、ルイ十八世はこのベッドで逝去した。
諸侯の間。

この部屋はルイ十四世の時代に「諸侯の控えの間」と呼ばれ、
18世紀には「王子の間」と呼ばれた。
1805年に「皇太后の控えの間」になり、
1810年には皇帝と皇后の従者の「食堂」となった。
1836年に王妃マリー・エメリーの「取次役の間」と呼ばれ、様々な人と
役割を経てきた部屋である。
左右翼棟を繋ぐ柱廊からは庭が見渡せる。

庭はとても広く花々がたくさん咲いている。
円形の間。

ルイ十四世の第一居室での玄関ホール。

19世紀になると「取次ぎ役の間」にかわった。
孔雀石の間。

部屋の名前は、ロシア皇帝アレクサンドル一世がナポレオンに贈り、1809
年にジャコブ・デマルテルがその台座を作った堅石にちなんだものである。

この部屋の黄色のすばらしさは形容しがたい。金と黄色の間のような色調
で、これほどきれいな黄色を見たのははじめてかもしれない。

ルイ・フィリップの家族の間。

太陽王の時代にそれぞれ「娯楽の控えの間」「睡眠の間」と呼ばれ、
帝政時代になると「勲章者の部屋」「皇子の間」と呼ばれるようにな
った二つの部屋をルイ・フィリップは一つに合体し、家族が毎晩この
部屋に集ったという。

庭園から見たグラン・トリアノン。

行きのプチトラムでは寒かったのに、なんだかカンカン照りの天気になって
いる。暑い!!

トイレ。

グラン・トリアノンにはトイレが見当たらず、離宮を出てすぐのこのトイレは
人の列ができている。トイレの入口には体格のいい黒人の人がスタンバっ
ていて、もしかしてチップをとるためにいるのであろうかと疲れた足を引き
摺りつつ並ぶ。
すると、チップがほしいわけではなく、彼女は自分が監督しているトイレを
秩序正しく?使って貰うためにいるらしい。

トイレの中に机まであって、「あんたはこっち、あんたはあっち」と指図され
るままにトイレを使い、帰るときには、「Au revoir」(さようなら)と挨拶して
貰ったが・・・後に並んでる人のことを思うとせわしない気分であった。(笑)

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