西王燦・山科真白


 の 歌  (春編)



はるのそら【春の空】 春空 春天 (三春)

大気温暖な頃の空をいうものである。一片の纖翳をも見ないような大
空どこやらにうす白い色を含んでいるかんじがする。こうした空合が、
春には、比較的多いように思われる。   俳句歳時記 春 平凡社



騎乗位にかたち変へつつ仰ぎをれば天窓白き春の空見ゆ  燦

春空を十字に映すぎんいろのクルスを君は肌に置きにき  真白



はるのくも【春の雲】 春雲 (三春)

春雲というのは夏雲や秋雲のように、はっきりとした形をもっている
ことは少ない。大空一面にどんよりと刷いたように現れるのがふつう
である。主観的にいえば、多少の愁色をふくむようなかんじを持つ。
巻層雲や高層雲はどちらもはっきりした形をもたないで、空一面に幕
のように広がって見え春らしい感じを与える。俳句歳時記 春 平凡社



ヴェネツィアの侏儒が空に放ちたる鳩が消えゆく春の雲なり 真白

春の雲のやや曖昧なひとひらが砂丘の上に見えつつ消ゆる  燦



かすみ【霞】 春霞 薄霞 遠霞 八重霞 横霞 叢霞 有明霞 朝霞 昼霞
夕霞 晩霞 紅の霞 霞の海 霞の沖 霞の帯 霞の衣 霞の袖 霞の袂
霞の網 霞隠れ 霞の空 霞の洞 霞の谷 霞の麓 霞の底 霞敷く 霞渡
る 霞棚引く 霞立つ 草霞む 霞の命 霞の身 霞の奧      (三春)

春の情景としてかすみは昔から詩歌の対象になっているが、気象学
の上では、かすみという術語はない。一般に使われているかすみと
いう言葉は、いろいろの浮遊物の状態を指すものと見られる。春に
入って何処にもとかく水蒸気が、多くたちこめてくることから山峡だと
かまた山の中腹などに帯状をなした薄雲のようなものが霞である。古
春は「霞」、秋は「霧」と言って区別している。また霞は、夜分にはいわ
ず夜は「朧」といわれる。霞の洞は仙人の棲處。俳句歳時記 春 平凡社



朝まだき別れがたきに眺むればのなかを水鳥遊ぶ  燦

恋人の纏ふ衣を嘗むごとく白きは漂ひたるも 真白



おぼろ【朧】草朧 岩朧 谷朧 灯朧 影朧 鐘朧 朧影 (三春)

朧といえば、すぐ月を思いだすが、朧と称えるのは月のみに限ったこ
とはない。聞くものにもある。たとえば、「鐘おぼろ」の如きそれである
し、河だとか草などにもある。また月のない夜、大都会の上空の灯光
の明るく浮かんだところに、近代的な朧の感じがあるように思われる。
朧影は、模糊たるものの影で月影ではない。俳句歳時記 春 平凡社



しづかなるこゑのとぎれてゆふぐれは朧朧の春に入りぬ 真白

夜の青岸渡寺に瀧の音は読経のごとく籠もり聞こゆる  燦



しゅんいん【春陰】 (三春)

春、快晴とはいいがたく若干曇り気のある空模様をいうのである。
別に花曇があるがその花曇とは自ら異なる。俳句歳時記 春 平凡社



子猫ひとつ捨てられてゐる春陰の美容形成外科医院前  燦

春陰や吾が知らざりし人喰ひの村に咲くとふ雛菊の花 真白



はなぐもり【花曇】 養花天 (晩春)

桜が咲く頃にかけて空が晴れやかでなく幾分重苦しい感じにある
場合をさす。かなり広い範囲に巻層雲や高層雲が広がり、それを
一点から見ると空一面に雲が広がり、太陽や月の周囲には暈が
みられる。このような天気を花曇という。気温は割合に高い。花曇
のあとはたいがい雨が降るのが普通である。養花天(ようかてん)
とは、花を養う天空と解すべき意である。俳句歳時記 春 平凡社



いにしへの神を思ほゆ花曇りたはむれに恋ふ森に迷ひて 真白

花曇恋人の墓訪ねむとさびしき無人駅に降り立つ  燦



はつにじ【初虹】 春の虹 (晩春)

春になって初めてあらわれる虹をいうのである。初虹は、三月ご
ろはじめて現れるものとされている。 俳句歳時記 春 平凡社



初虹よはじめてキスをした頃を問はず語りに電子メールで  燦

初虹の色のすべてを身につけし少女が笑ふふふふと笑ふ 真白



かげろう【陽炎】 糸遊 遊糸 野馬 陽焔 かげろい かぎろい 陽炎燃ゆる (三春)

風の弱いよく晴れた日に遠くのものがゆらゆらゆらいで見えるこ
とがある。これは濃度のちがう空気を通る光線が不規則な屈折
をすることによる。太陽の強い光線のために、地面が、著しく熱
せられ、地面に接した空気が、熱せられる。湿度の高くなった空
気は沸騰する鍋の底から立上がる泡のように空気の塊りとなっ
て上昇してゆくのである。       俳句歳時記 春 平凡社



歩みゆくむかうに陽炎立ちにけりサロメはをどりはじめけるかな 真白

陽炎に足さへ揺れてゆくならむオスカー・ワイルドの痩身あはれ  燦



NISHIOU SAN & YAMASHINA MASHIRO

2005.4月